石像寺の御朱印
御朱印

京都の神社・仏閣
石像寺(しゃくぞうじ)
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住所/〒602-8305 京都市上京区千本通上立売上ル花車町503
TEL/075−414−2233
アクセス
★電車/JR「京都」駅あるいは阪急京都線「河原町」「烏丸」「大宮」各駅から
        市バス「千本上立売」下車 徒歩約2分
★車/名神「京都南」ICあるいは「京都東」ICより約30分
駐車場/なし
拝観料/無料
拝観時間/8:00〜16:30

表門
表門
中門
中門

正しくは家隆山(かりゅうざん)光明遍照院(こうみょうへんじょういん)石像寺(しゃくぞうじ)という浄土宗の寺院で「釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)」「くぎぬきさん」として親しまれている。
弘法大師(空海)の開基と伝えられ、もと真言宗であったが、重源上人(ちょうげんしょうにん)が中興してから浄土宗となった。819年建立。
地蔵堂に安置する石造地蔵菩薩立像は弘法大師の作と伝えられ、もとは諸々の苦しみを抜き取るという信仰から苦抜(くぬき)地蔵と呼ばれていたが、それがなまって釘抜地蔵となった。一説には、手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の恨みの釘を抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれるようになったとも伝えられる。()

大師堂・観音堂
大師堂・観音堂
本堂
本堂

1556年頃、油小路通上長者町のあたりに紀の国屋道林という人がいた。当時の京都では有数の大商人であったが、40歳の時に何事もないのに両手が非常に痛み、色々と治療をつくしたが、その効果が少しもなく苦しんでいた。その時、当寺の地蔵尊が霊験あらたかというのを聞き、願をかけて祈っていたところ、満願の夕べに夢の中で地蔵尊がこう言った。「汝この度の痛みは常の病にあらず。前世に人を怨み、仮の人形を造り、その両手に八寸の釘を打ち呪いたることあり、その罪かえりし汝が身にその苦しみを受く、汝幸に吾に残報を祈る。故に吾神力をもってかの昔の怨み釘を抜き取れり。これを見よ」。道林は夢から覚めてみると両手の痛みはたちどころに治っていた。()

釘抜の絵馬
釘抜の絵馬
本堂の釘抜の絵馬
本堂の釘抜の絵馬

急ぎ当寺に来て寺僧に乞いて御厨子の前に進んで伏して拝みたてまつれば、不思議なことに尊像の前に朱に染まった二本の八寸釘があった。道林をはじめその他の人たちはみな身の毛もよだつばかり驚いた。道林はそれより百日を期して日参し、その恩の万分の一にもと奉謝したと伝えられる。その時より本地蔵尊を釘抜地蔵尊という。()

阿弥陀三尊像
阿弥陀三尊像


地蔵堂背後の阿弥陀三尊像(重要文化財)は、鎌倉初期の傑作で、中尊の阿弥陀如来像は高さ約1.2mで、1224年に伊勢権守(いせごんのかみ)佐伯朝臣為家(さえきあそんためいえ)によって彫られ、翌年開眼供養した銘がある。観音堂には行基の作と伝えられる観世音菩薩を祀っている。
境内には、弘法大師三井(さんせい)の一つという加持水(かじすい)がある。また、この地は鎌倉時代初期の歌人・藤原定家、家隆が住んだ所とも言われており、定家らの墓と伝えるものがある。()

節分会
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