藤森神社の御朱印
御朱印

京都の神社・仏閣
藤森神社
【藤森神社のサイトへ】

住所/〒612-0864 京都市伏見区深草鳥居崎町609
TEL/075−641−1045
アクセス
★電車/JR「藤森」駅、京阪電車「墨染」駅下車 徒歩約5分
★車/名神「京都南」ICより約10分
駐車場/約50台(無料)
拝観料/無料  紫陽花苑/300円(6月の約1か月)
拝観時間/9:00〜16:00

社号碑
社号碑
西門鳥居
西門鳥居
本殿前石碑
本殿前石碑

平安遷都以前から祀られている古社。学問・勝運と馬の神社として知られる。
毎年5月5日に行われる藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭として知られ、各家に飾られる武者人形には藤森の神が宿ると伝えられている。菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じると言われ、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている。
そして『日本書記』の編者であり、日本最初の学者舎人親王(とねりしんのう)を御祭神として祀ることから学問の神として崇敬されている。また室町時代から走り馬が行われ、その後、藤森祭の駈馬神事として受け継がれており、11月に行われる祭には馬主、騎手をはじめ競馬関係者、競馬ファンが参拝し、馬の神様として親しまれている。
御祭神は十二柱で、本殿(中座)に素戔嗚尊(すさのおのみこと)別雷命(わけいかづちのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后(じんぐうこうごう)武内宿禰(たけのうちのすくね)の七柱、東殿(東座)に天武天皇、舎人親王(とねりしんのう)の二柱、西殿(西座)に早良親王(さわらしんのう)伊豫親王(いよしんのう)井上内親王(いがみないしんのう)の三柱を祀る。()

本殿
本殿
拝殿
拝殿

本殿の主たる御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。203年神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅より凱旋した後、山城の国深草の里藤森の地を神在の清地として選び、纛旗(とうき)(軍中の大旗)を立て、兵具を納め、塚を造り、神祀りしたのが当社の起こりとされる。794年、桓武天皇より弓兵政所の宝称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われた。建物は現存する賢所(宮中内侍所)としては最も古いもので、1712年中御門天皇より賜わったもの。()

拝殿での琴演奏(紫陽花祭)
拝殿での琴演奏(紫陽花祭)
金太郎像
金太郎像

東殿の主たる御祭神は舎人親王(とねりしんのう)で、759年深草の里藤尾の地に祀られ、同時に淳仁天皇より崇道盡敬(すどうじんけい)天皇と追号された。藤尾の地は現在の伏見稲荷の社地である。1438年後花園天皇の勅により、時の将軍足利義教が山頂にあった稲荷の祠を山麓の藤尾の地に遷した際に藤尾大神を藤森に遷座して東殿に祀り、官幣の儀式を行った。舎人親王は持統、文武、元明、元正、聖武の五朝で国政に参与、720年には『日本書記』を撰し、一方では武道にも長け、文武両道に優れていたので、皇室や藤原一門の崇敬も厚かった。()

絵馬
絵馬
絵馬
絵馬

(上)絵馬舎 現在の拝殿を賜るまで拝殿であったものを絵馬舎として使用している。ここに懸る絵馬の中には白馬、黒馬の二枚の絵があり、「慶長十八年」(1613年)の銘があり、京都で一、二を争うほど古いものである。()

旗塚
旗塚
石造鳥居(南門鳥居)
石造鳥居(南門鳥居)

(左上)旗塚 神功皇后(じんぐうこうごう)纛旗(とうき)(軍中の大旗)を立てたところで、当社発祥の場所である。このいちいの木は“いちのきさん”として親しまれ、ここに参拝すると腰痛が治るといわれ幕末の近藤勇も参拝したと伝えられる。
(右上)石造鳥居(南門鳥居) 南参道前にあり、現在額はないが、昔は後水尾天皇の御宸筆で「藤森大明神」の額が掲げてあった。江戸時代、前の道が西国大名の参勤交代の道筋にあたっていたことから、大名行列が神社の前を通る時には大名は駕籠から降り、騎乗の者は下馬し、槍を持つ者は槍の穂先を下げ、拝礼をして通行した。幕末の動乱期に、新撰組の近藤勇がこれを悠長なこととして額を外し持ち去ったと言われている。()

第一紫陽花苑
第一紫陽花苑
第一紫陽花苑
第一紫陽花苑

(上下)紫陽花祭 神事は6月15日10時より本殿において行われる。延べ1500坪の紫陽花苑に3500株の紫陽花が咲き誇る。6月中旬〜7月上旬の約1ヶ月間、紫陽花苑が開苑され紫陽花祭が催される。()

紫陽花
紫陽花
紫陽花
紫陽花
紫陽花
紫陽花
紫陽花
紫陽花



HOME TOP BACK LINK