満願寺の御朱印
御朱印

熊本の神社・仏閣
満願寺
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住所/〒869-2402 熊本県阿蘇郡南小国町満願寺2292
TEL/0967−42−0384
アクセス
★電車/JR豊肥本線「阿蘇」駅または「宮地」駅より
      バスを乗り換え「満願寺入口」下車 徒歩約10分
     (福岡・福岡空港より黒川温泉行き高速バスあり)
★車/大分自動車道「玖珠」ICより約45分
    九州自動車道「熊本」ICより約1時間20分
駐車場/約20台(町営満願寺駐車場)
拝観料/無料  境内自由

本堂
本堂

高野山真言宗。山号は立護山。本尊は毘沙門天王。
九州三十三観音霊場第16番札所。
鎌倉幕府の執権北条時頼の弟・北条時定は弟・定宗、嫡子・随時(ゆきとき)一門を同道して阿蘇小国の地頭として当郷に下向し、元寇祈願のため形勝の地として当山を選んだ。ここは九州の中央部で要害堅固の地、自然湧出の温泉のあるところで、そのむかし弘法大師が霊場を開き、鎌倉時代梶原氏が築く庭園のある縁故の地であった。そして勅宣を蒙り、1274年(文永11年)山城国醍醐寺三宝院の経杲(きょうこう)大僧正を招き、五坊(別当坊多門院、密教坊密条院、中ノ坊祭蔵院、西ノ坊極楽院、北ノ坊理趣院)を建て満願寺と総称した。()

山門
山門
宝塔
宝塔

北条時定は鎮西奉行として筑前姪ヶ浜に於て、文永・弘安の役では三軍の将となりて元寇を防ぎ、三代にわたり鎮西奉行を務めた。
その後、孫・治時(はるとき)の時代に鎌倉幕府は滅びて北条一門跡を絶つ。治時(はるとき)は満願寺境内に父祖の廟を営み五輪の石塔を建てる。現在満願寺小学校の運動場に面するところにある。
その後、南朝後村上天皇より1356年6月12日、祈願精誠いたすべき旨の綸旨を賜いて穀田を寄付せられ、阿蘇大宮司宇治惟時(これとき)、境を検地して付属した。御綸旨二通並に大宮司避状は今なお現存する。
そして、戦国時代は阿蘇惟豊(これとよ)、ついで豊後国の大友氏から保護されるが、1587年に起きた肥後国衆一揆の影響で多門院のみが残り、現在の満願寺となる。()

地蔵堂
地蔵堂
石塔群付杉群
石塔群付杉群

北条三代の墓に隣して地蔵堂がある。1367年の建立と年代記に記され、本尊地蔵菩薩は身高2m65cmの大木彫仏で立像の柔和な線は南北朝時代を偲ばせるものがある。
地蔵堂の東隣りに1546年竹田の番匠が立てたと伝える大師堂があったが、明治時代の廃仏毀釈により取り壊され、本尊弘法大師像は1923年(大正12年)満願寺創立650年祭記念建立の大師堂に祀られている。
1571年に仁王門(山門)が建ったと記録がある。現在の山門は1929年(昭和4年)に建てられたもの。()



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