高野山真言宗。山号は金剛山。本尊は毘沙門天立像。 九州八十八ヶ所百八霊場第52番札所。
平家滅亡の後、平重盛の家人だった平貞能が、追善菩提のため重盛の念持仏の金造毘沙門天を胎内に納めた尊像を刻み、堂宇を建立したのが始まりとされる。あるいは、相良氏入国以前(平安時代後期)に人吉城代であった矢瀬主馬祐の創建と伝えられている。また一説には、1433年に快親という僧が開山して、本尊に毘沙門天を安置したともいわれる。江戸時代にはかなり繁栄しており、毘沙門堂、薬師堂、勝ノ峰観音堂などの諸堂が軒を連ねていた。また1641年に人吉市原田にあった真福寺が廃寺となり、本尊の毘沙門天が移されている。人吉球磨地方で現存する最古の寺院といわれる。
本堂の裏手にある375段の石段を上った緑深い山道の先に奥の院があり、昔はここに御本尊の毘沙門天も含め三躯の毘沙門天立像(二躯は国指定重要文化財)が祀られていた。現在は収蔵庫に収められている。
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