金剛城寺のご朱印
新西国霊場 ご朱印

新西国霊場

兵庫の神社・仏閣
金剛城寺(こんごうじょうじ)
【金剛城寺の紹介サイトへ】

住所/〒679-2218 兵庫県神崎郡福崎町田口236
TEL/0790−22−0014
アクセス
★電車/JR播但線「福崎」駅より徒歩約50分、タクシーで約10分
★車/中国自動車道、播但連絡道「福崎」IC・北ランプより約15分
駐車場/無料(約20台)
拝観料/無料
拝観時間/8:00〜16:00

参道
参道
寺号碑
寺号碑

高野山真言宗。山号は七種山(なぐささん)
新西国霊場第30番札所、播磨西国三十三箇所第12番札所。()

仁王門
仁王門
本堂
本堂

聖徳太子が自ら七種山に登った際、山容に霊気を感じて「これ三宝相応の地なり」と讃嘆し、国家安泰の祈願所として一寺の建立を願った。
それを伝え聞いた高麗国の恵灌法師は太子の遺志を継いでこの地に慈岡寺(しげおかでら)を創建した。法師の徳を慕う諸国の人びとは相競って財物を寄進したので、七堂伽藍が竣工、633年に法道仙人を供養導師として開山の堂供養大法会が厳修された。
本尊の十一面観世音菩薩は恵灌法師の一刀三礼の御作である。()

阿弥陀堂
阿弥陀堂
四国八十八ヶ所霊場
四国八十八ヶ所霊場

当寺は初め三論の教学を奉じていたが、嵯峨天皇の御代に弘法大師が播磨巡錫の折り、当寺に滞在して真言密教の秘法を修したときから真言宗となり金剛城寺と称するようになった。
この頃より焼失と再建を繰り返したが、1474年の兵火より久しく衰徴の一途をたどった。
1601年に台肪明覚上人が中興、姫路城主池田輝政が七種山林50町四方を永代料に寄せ、更に徳川家康に上願して1604年当山鎮守七種権現領として山城全体に及ぶ御朱印を下した。()

弁天堂
弁天堂
鐘楼
鐘楼

1870年(明治3年)の廃仏毀釈にて寺領は国に没収、伽藍も破壊され、檀信徒は 急遽阿弥陀堂と 住承院、地蔵院、正覚院の中の庫裏一棟を 田口の村中へ移築し本尊を安置した。
1897年(明治30年)国を相手に旧境内地七種山林百十余町歩の下げ渡しの行政訴願を起こし、1902年(明治35年)勝訴、昭和30年代にかけて本堂、仁王門、護摩堂、本坊、庫裡、大師堂など復興した。()



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