住所/〒803-0813 北九州市小倉北区城内2-2TEL/093−561−0753 アクセス★電車/JR日豊本線「西小倉」駅より徒歩約10分 ★車/北九州都市高速「小倉駅北」ランプまたは「大手町」ランプから約10分 駐車場/約30台(無料)拝観料/無料開門時間/6:00〜17:30
主祭神は、北殿に須佐能袁命(すさのおのみこと)、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)、天之菩卑命(あまのほひのみこと)、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、活津日子根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須比命(くまぬくすびのみこと)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)、 南殿に須佐之男命(すさのおのみこと)、大名牟遅命(おおなむちのみこと)、少名比古那命(すくなひこなのみこと)、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)、顯仁(あきひと)天皇(崇徳天皇の諱(いみな))。()
貞観年中(9世紀頃)に須佐能袁命(すさのおのみこと)が祀られる。その後、関ヶ原の戦で戦功をたてた細川忠興(ただおき)が豊前の領主として赴任し、小倉藩の総鎮守として1617年に祇園社(のちの八坂神社)の社殿を創建したと伝えられている。()
細川忠興(ただおき)が、ある日、城外の鷹狩りに出かけた時、小さな祠を見つけ、祠のご神体をのぞき見ようと枝でこじ開けようとした。すると、中から鷹が飛び出し、忠興(ただおき)の目を蹴ったという。神様に対する無礼から目が見えなくなったと思った忠興(ただおき)は、小倉城の城外に荘厳な社を創建し、眼病平癒を願い、また直臣によって二基の石造灯籠が奉納された。それにより忠興(ただおき)の目が治癒したと伝えられている。これより当社は眼病平癒にご利益のある神社としても有名になった。()
明治時代になり、祇園社から八坂神社へと名前が変わり、1934年(昭和9年)に現在の小倉城内に社殿は遷座している。例祭は7月第3金・土・日曜日に催される祇園祭で小倉祇園太鼓が有名。()