北口本宮冨士浅間神社の御朱印
御朱印 諏訪神社 御朱印

諏訪神社

山梨の神社・仏閣
北口本宮冨士浅間(せんげん)神社
【北口本宮冨士浅間神社のサイトへ】

住所/〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田5558
TEL/0555−22−0221
アクセス
★電車/富士急行「富士山」駅より徒歩約30分
       または富士急行バスで「浅間神社前」下車すぐ
★車/中央道「河口湖」IC、または東富士五湖道路「富士吉田」ICより約7分
駐車場/約100台(無料)
拝観料/無料  境内自由

一之鳥居
一之鳥居
二之鳥居
二之鳥居

ご祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)(別称:浅間大神(あさまのおおかみ))、彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)大山祇神(おおやまづみのかみ)
世界文化遺産「富士山」の構成資産の一つ。富士山吉田口登山道の起点。
景行天皇40年(110年)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折、当地を通過の際、大塚丘の上にて富士山を遥拝し、「富士は北の方より拝せよ」との詔を発した。里人はこれを拝受しその跡に鳥居を建て、小祠を設け浅間明神を勧請し日本武尊(やまとたけるのみこと)を合祀した。()

随神門
随神門
神楽殿
神楽殿

781年に富士山の噴火があり、甲斐国主の紀豊庭(きのとよひろ)朝臣が卜占(ぼくせん)し、788年に大塚丘の北方、現在社殿のある地に浅間大神を遷し、大塚丘には日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀った。
富士講村上派の村上光清(こうせい)は、藤原角行の6世弟子にあたり、1733〜38年に境内社殿の大造営を行った。現存する社殿と境内構成のほとんどはこの時に定まり、廃仏毀釈により損失しつつも現在もなお当時の姿を伝えている。()

拝殿
拝殿
本殿
本殿

神楽殿・拝殿
神楽殿・拝殿
恵毘寿社
恵毘寿社

現在の社殿は、1233年に北条義時造営ののち1561年に武田信玄が再建した東宮本殿が現存する中では最も古く現本殿の東側にある。また現本殿の西側には、1594年に浅野氏重(うじしげ)造営の西宮本殿がある。現在の本殿は、1615年に鳥居成次(なりつぐ)の創建で、いずれも国指定重要文化財になっている。
東宮のご祭神は天津日高彦火火出見命(あまつひこひこほほでみのみこと)。西宮のご祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)豊受大神(とようけおおみかみ)琴平大神(ことひらおおみかみ)()

神武天皇社・東宮
神武天皇社・東宮
西宮
西宮

諏訪拝殿
諏訪拝殿
八幡社
八幡社

諏訪神社 ご祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)八坂刀売神(やさかとめのかみ)
勧請年代は不詳であるが、古くから当社一帯の森を「諏訪ノ森」と呼ぶことや『甲斐國志』巻之71神社部第17上[諏訪明神]の記述からも相当の古社であることがわかる。元々は当地域の氏神であったが、明治維新の際に北口本宮の摂社となる。
例祭である鎮火祭は日本三奇祭の一つに数えられる「吉田の火祭り」のことで、勇壮な神輿の渡御や高さ3mにも及ぶ大松明80本余の焚き上げで賑わう。()

角行の立行石
角行の立行石
冨士登山道吉田口
冨士登山道吉田口



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