興国寺のご朱印と御影
紀伊之国十三仏霊場 ご朱印

紀伊之国十三仏霊場
ご朱印
紀伊之国十三仏霊場 御影

紀伊之国十三仏霊場
御 影

和歌山の神社・仏閣
興国寺
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住所/〒649-1103 和歌山県日高郡由良町門前801
TEL/0738−65−0154
アクセス
★電車/JRきのくに線「紀伊由良」駅より徒歩約15分
★車/湯浅御坊道路「広川」ICより約20分
駐車場/約30台(無料)
拝観料/無料

山門
山門
廣度橋・参道
廣度橋・参道

臨済宗妙心寺派。山号は鷲峰山(じゅぶざん)紀伊之国十三仏霊場第8番札所。
1227年、葛山(かつらやま)五郎景倫(かげとも)が主人である鎌倉三代将軍源実朝(さねとも)の菩提を弔うため願性(がんしょう)和尚となり、真言宗西方寺(さいほうじ)を建立したのが始まり。
1258年心地覚心(しんちかくしん)法燈(ほっとう)国師)が宗旨を禅宗に改めると、「関南第一禅林」(箱根の関より南の禅宗の寺の第一の寺の意味)として栄え、多くの高名な僧を輩出した。覚心は1298年示寂、その後国師号を授かり、1340年(興国元年)に後村上天皇から興国寺号を賜ったと伝えられる。()

法堂
法堂
開山堂・禅堂
開山堂・禅堂

覚心は1207年、今の長野県松本市神林に生まれ、19歳で出家、高野山で密教を学んだ。42歳で宋に渡り、47歳で日本に戻ると高野山の金剛三昧院の住職となる。そして願性和尚に請われ西方寺の住職としてこの由良に来た。
1585年羽柴(豊臣)秀吉の紀州攻めで堂塔の大半を失ったが、紀州藩浅野家、徳川家代々の藩主の庇護のもと復興された。
他に普化尺八の本寺、「径山(きんざん)(金山)寺味噌」「醤油」の我が国発祥の地として知られている。()

天狗堂
天狗堂
大天狗
大天狗

興国寺は何度も火災に遭い、その再建が早かったことから天狗が一夜にして建てたという話が江戸時代の『新著聞集(しんちょもんしゅう)』に記載されている。また上州(群馬県)赤城山の天狗が一夜でお堂を建立したことに由来する「天狗祭り」が1月に行われるなど天狗にまつわる言い伝えがある。()

庫裡
庫裡
勅使門・方丈
勅使門・方丈

径山(きんざん)(金山)寺味噌とは、法燈(ほっとう)国師が中国(宋)に留学していたとき、径山(きんざん)(金山)寺で味噌の作り方を学び、日本に帰ってから広めたもので、味噌汁に使うのでなく、そのまま食べられる味噌で、非常食として、また昔は旅行中の食べ物として役立った。
そして味噌を作った時のたまりがしょうゆの始まりといわれる。()

地蔵堂
地蔵堂
鐘楼・浴室
鐘楼・浴室

法燈(ほっとう)国師は中国で禅を学んだが、尺八を吹くことも修行のひとつであった。日本には四人の居士を連れて帰り、寺の近くの普化谷(ふけだに)に住んで浴司(よくす)(風呂番)をしながら、尺八を吹いていた。そのうち京都の北白川に明暗寺(みょうあんじ)が建ち、ここが虚無僧の拠点となった。虚無僧の元祖は楠木正成(くすのきまさしげ)の孫の正勝(まさかつ)と言われている。江戸時代になると普化宗として保護されるようになり、明暗寺(みょうあんじ)が興国寺の末寺となってからは興国寺が普化宗・虚無僧の本寺といわれるようになった。全盛期には末寺は120程もあったが、1871年(明治4年)に江戸幕府との繋がりなどで廃宗となった。
その後、普化尺八の名曲が消えるのを惜しんだ人たちが1888年(明治21年)に明暗(みょうあん)協会を設立、1967年(昭和42年)には現在の「普化尺八法燈会」が発足して、境内に「虚鈴庵(きょれいあん)」が建てられ、今も普化尺八が伝えられている。()