寺社巡り覚書
玉造温泉
少彦名命(すくなひこなのみこと)が発見し、大名持命(おおなもちのみこと)大国主命(おおくにぬしのみこと))が温泉療法を開いたと伝えられる。『出雲国風土記』抄にも記載があり、神の湯として知られた。
出雲国造(いずものくにのみやつこ)が天皇に神吉詞奏上のため上京に際し、当地で御沐忌玉(みそぎのいみたま)を作り、斉戒沐浴(さいかいもくよく)したという。
その後、温泉は一時洪水のために廃れたが、佐々木義綱(富士名判官)が夢告により、川中に温泉を発見し、薬師堂を建立し、湯船を構え、上屋を造って温泉を復興させたという。更にその後は松江藩主松平公により浴室の改造や御茶屋の建造があって、明治維新より今日に至る。
⇒玉造温泉旅館協同組合のサイト

まがたま(勾玉)橋
まがたま(勾玉)橋
川辺の出湯跡・湯閼伽の井戸(恋来井戸)
川辺の出湯跡・湯閼伽の井戸(恋来井戸)