出雲大社のご朱印
御本殿 ご朱印

御本殿
神楽殿 ご朱印

神楽殿
北島国造館・御神殿 ご朱印

北島国造館・御神殿
北島国造館・天神社 ご朱印

北島国造館・天神社

島根の神社・仏閣
出雲大社(いずもおおやしろ)
【出雲大社のサイトへ】

住所/〒699-0701 島根県出雲市大社町杵築東195
TEL/0853−53−3100
アクセス
★電車/一畑電鉄「出雲大社前」駅より徒歩約7分
★車/山陰自動車道「出雲」ICより約15分
駐車場/385台(無料)
拝観料/無料
拝観時間/3月〜10月 6:00〜20:00
      11月〜2月 6:30〜20:00

一の鳥居(宇迦橋の大鳥居)
一の鳥居(宇迦橋の大鳥居)
二の鳥居(勢溜の大鳥居)
二の鳥居(勢溜の大鳥居)

一般には「いづもたいしゃ」と称しているが、正しくは「いづもおおやしろ」という。
御祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
式内社(名神大)出雲国一宮。旧社格は官幣大社。
現在は神社本庁包括に属する別表神社。
宗教法人出雲大社教(いずもおおやしろきょう)宗祠(そうし)(根源となる御社)、但し出雲大社(いづもおおやしろ)は「宗教法人出雲大社(いづもおおやしろ)」、出雲大社教(いずもおおやしろきょう)は「宗教法人出雲大社教(いずもおおやしろきょう)」であり、別団体。
出雲國神仏霊場第1番札所。()

祓社
祓社
二の鳥居と神門通り
二の鳥居と神門通り

創建は神代とされる。
「古事記」(712年)や「日本書紀」(720年)には、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)が国づくりされた日本の国土を、皇室の祖先神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)に国譲りをされた際、その功績を称えて壮大な神殿を創建し、鎮座したと記されている。これは国家による出雲大社造営起源の記述で、その様子は太く長い柱を地下の岩盤に届くほど深く突き固め、大きく厚い板を用い、屋根に掲げられた千木は天の雲を貫くほど壮大な神殿であったという。()

古代の本殿の模型(吉兆館)
古代の本殿の模型(吉兆館)
三の鳥居(松の参道の鳥居)
三の鳥居(松の参道の鳥居)

またこの国譲り以前に大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の妻神の須勢理毘売命(すせりびめのみこと)の父神にあたる素盞嗚尊(すさのおのみこと)が、須勢理毘売命(すせりびめのみこと)と一緒に壮大な住まいを建て仲良く暮らすよう命じているので、それ以前に立派な建物があったとも伝えられる。
古代より杵築(きずき)大社と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。()

四の鳥居(銅の鳥居)
四の鳥居(銅の鳥居)
八足門
八足門

拝殿
拝殿
拝殿の大注連縄
拝殿の大注連縄

例祭は5月。また神在月(神無月)には、全国から八百万の神々が集まり神議が行われる神在祭(御忌祭(おいみまつり))が旧暦10月11日〜17日に行われる。
出雲大社での正式な参拝作法は「二礼四拍手一礼」である(一般的には「二礼二拍手一礼」)。四拍手をする理由は、最も大きな祭典である5月14日の例祭(勅祭)で八拍手をするが、数字の「八」は古くより無限の数を意味する数字で、八拍手は神様に対し限りない拍手をもってお讃えする作法であり、平素は半分の四拍手で神様をお讃えするのである。()

御本殿
御本殿

国宝である現在の本殿は1744年に造営され、これまで三度の遷宮が行われているが、2008年(平成20年)から60年ぶりとなる「平成の大遷宮」が行われた。()

ムスビの御神像
ムスビの御神像
神楽殿
神楽殿

神楽殿と国旗
神楽殿と国旗
神楽殿の大注連縄
神楽殿の大注連縄

(上)神楽殿 本来、千家国造(せんげくにのみやつこ)家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されており、「風調館(ふうちょうかん)」と呼ばれていた。明治に入り、出雲大社教が設立されてからは出雲大社教の神殿としても使用され、現在では国造家大広間、並びに出雲大社・出雲大社教の神楽殿として様々な祭事や行事が執り行われてる。
正面の大注連縄は、長さ約13.5m、重さ約4.4トンに及び、数年に一度、新しい注連縄へと懸け替えられる。
また神楽殿前庭には高さ47mの国旗掲揚塔がそびえ、揚げられる国旗は75畳(縦8.7m、横13.6m)の大きさである。()

北島国造館(出雲教)大門
北島国造館(出雲教)大門
北島国造館(出雲教)御神殿
北島国造館(出雲教)御神殿

創建以来、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子の天穂日命(あめのほひのみこと)を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきた。
出雲国造(いずものくにのみやつこ)(出雲国(現在の島根県東部地方)を上古に支配した国造)の称号と出雲大社の祭祀職務は、南北朝時代に入るまで一子相伝であったが、康永年間(1340年頃)以降、千家氏(せんげし)北島氏(きたじまし)の二氏に分かれ、それぞれが出雲国造を名乗るようになった。
しかし、明治時代に千家氏・北島氏ともに男爵として遇され、千家氏は出雲大社教(いずもおおやしろきょう)、北島氏は出雲教と、それぞれ宗教法人を主宰して分かれ、出雲大社の宮司は千家氏が担った。()

三社(左から稲荷社、天穂日命社、荒神社)
三社(左から稲荷社、天穂日命社、荒神社)
天神社と「亀の尾の滝」
天神社と「亀の尾の滝」