苗村神社のご朱印
ご朱印

滋賀の神社・仏閣
苗村(なむら)神社
【苗村神社の紹介サイトへ】

住所/〒520-2524 滋賀県蒲生郡竜王町綾戸467
TEL/0748−57−0160
アクセス
★電車/JR琵琶湖線「近江八幡」駅より近江鉄道バス20分
        「川守」バス停下車 徒歩約10分
★車/名神「竜王」ICより約10分
駐車場/約20台(無料)
拝観料/無料
拝観時間/9:00〜17:00

社号標と西の鳥居
社号標と西の鳥居
楼門
楼門

創祀年代不詳。延喜式神名帳近江国蒲生郡十一座の中の長寸(なむら)神社の論社。もとこの地域は日本書紀巻六垂仁紀に三年三月新羅王子天日槍(あめのひぼこ)の来帰の条に「於是天日槍自菟道河泝北入近江国吾名邑暫往復更自近江経若狭国西到但馬国則定住処也是以近江国鏡谷陶人則天日槍之従人也云々」という吾名邑(あなむら)であり後に那牟羅(なむら)と略称されたが、地名の那牟羅(なむら)と同音になる長寸(なむら)の字に替え長寸(なむら)神社と称した。その後1017年(寛仁元年)朝廷に長寸郷より門松用の松苗を献上した所以で時の帝、後一条天皇より苗村の称号を賜り苗村(なむら)神社と改称したと社蔵文書は伝えている。

楼門
楼門
楼門
楼門

国道41号線をはさんで、西側に国狭槌命(くにのさづちのみこと)を祀る西本殿、東側に大国主命(おおくにぬしのみこと)素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る東本殿がある。祭神がこのようになったのは、明治維新の神仏分離の影響だけでなく、記紀に記されない神々を排除したことによるとされる。しかしこの地の祖霊ともいうべき那牟羅彦神(なむらひこのかみ)那牟羅姫神(なむらひめのかみ)を消し去り難く、現在では東本殿の神とされるようになってきた。

楼門神額
楼門神額
神輿庫
神輿庫

近代以前の苗村神社について記した『苗村神社由緒略記』によれば、西本殿の主神を那牟羅姫神(なむらひめのかみ)とし、その左右に応神天皇ゆかりの八幡社、日吉(ひえ)山王七社権現の一柱、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の顕現とされる十禅師(じゅうぜんし)を祀る十禅師社が鎮座し、東本殿は那牟羅彦神(なむらひこのかみ)を祀り、その相殿に大国主命(おおくにぬしのみこと)事代主神(ことしろぬしのかみ)素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られるとしている。

境内
境内

(左下)西本殿(国宝) 1308年再建。構造は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、前面は一段低い床張りとし、菱格子を入れて前室を作り更に一間の向拝を出し、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)とした鎌倉時代後期の特徴を現している。

西本殿
西本殿
不動堂
不動堂

(右上)不動堂 いまでも8月に山伏が集まって大護摩供(おおごまく)が行われる。平安時代末期の木造不動明王立像(重要文化財)がある。これは吉野の金峰山(きんぷせん)にあらわれたとされる蔵王権現(ざおうごんげん)国狭槌命(くにのさづちのみこと)の本地とされたことによる。

東の鳥居
東の鳥居
東本殿
東本殿

(上)東本殿 東本殿周辺には6世紀後半に造られた東苗村古墳群が残されている。したがって東本殿は、このあたり一帯泥湿原であった蒲生野を切り開いた一族の祖神、那牟羅彦神(なむらひこのかみ)那牟羅姫神(なむらひめのかみ)の奥津城に始まったと考えられる。また西本殿は969年、国狭槌命(くにのさづちのみこと)が吉野の金峰山(きんぷせん)から勧請され鎮座したとされる。
国狭槌命(くにのさづちのみこと)は水神であって、那牟羅姫神(なむらひめのかみ)に結びつけられたようである。すなわち苗村神社は10世紀中頃までは東本殿が主殿であった。