鶏足寺の御朱印
びわ湖百八霊場 御朱印

びわ湖百八霊場
戸岩寺 御朱印

戸岩寺

滋賀の神社・仏閣
鶏足寺(けいそくじ)
【鶏足寺の紹介サイトへ】

住所/〒529-0411 滋賀県長浜市木之本町古橋
TEL/0749−82−2784(古橋鶏足寺案内所)
アクセス
★電車/JR北陸本線「木之本」駅より
     湖国バス「金居原」行き「古橋」バス停下車 徒歩約5分
★車/北陸道「木之本」ICから約10分
駐車場/約50台(無料)
拝観料/500円
拝観時間/9:00〜16:00(己高閣・世代閣)

鶏足寺(旧飯福寺)参道
鶏足寺(旧飯福寺)参道
鶏足寺(旧飯福寺)
鶏足寺(旧飯福寺)

真言宗豊山派。山号は己高山(ここうざん)
びわ湖百八霊場第30番札所。()

鶏足寺(旧飯福寺)参道
鶏足寺(旧飯福寺)参道
鶏足寺(旧飯福寺)参道、(右)護摩堂
鶏足寺(旧飯福寺)参道、(右)護摩堂

鶏足寺(けいそくじ) 724年僧行基によって十一面観世音菩薩を本尊として創建され、東光山常楽寺とした。その後、僧泰澄も入山し行門を建立したがまもなく荒廃した。
799年僧最澄(伝教大師)が巡錫の際、己高山頂に瑞光を観じ、仏閣の跡に十一面観音像を発見、この時現れた仙人の託宣を受けた大師が伽藍を建立し、己高山鶏足寺という名で天台宗寺院として再興した。()

大門跡
大門跡
己高山鶏足寺鳥瞰図
己高山鶏足寺鳥瞰図

その後、時代の変遷で衰退もあったが、室町時代には僧房120宇を擁する大寺院となり、小谷城主浅井家三代、次いで豊臣家の祈願所となり、石道寺・法華寺・飯福寺その他の名刹を別院とした。
江戸時代には徳川幕府も京都所司代に命じて寺領を保護し寺の維持を図ったが、地理的悪条件から次第に衰退し、末期には無住となり権現堂とともに最後まで残っていた本堂も1933年(昭和8年)冬に不審火で焼失した。御本尊は1914年(大正3年)に與志漏神社境内に遷佛していたため無事であり、今は己高閣にある。()

鶏足寺(旧飯福寺)
鶏足寺(旧飯福寺)
護摩堂
護摩堂

(左上)飯福寺(はんぷくじ) 735年には僧行基が開基した古寺で己高山鶏足寺の別院として名を連ね、中世には僧兵を擁する程の大寺であった。秋は境内を埋める200本のかえでの紅葉が有名。()

宝寿院跡
宝寿院跡
梅本坊跡
梅本坊跡

己高閣
己高閣
世代閣
世代閣

(上)己高閣(ここうかく)世代閣(よしろかく) 鶏足寺の文化財収蔵庫で、己高閣には本尊の十一面観世音(重文)、法華寺の七仏薬師(県指定)、不動明王、兜跋(とばつ)毘沙門天ほか約二十躰の仏像が安置されている。世代閣には薬師如来、十二神将(木心乾漆)三躰(以上重文)、魚藍観音、己高山縁起(以上県指定)ほか宝物類が多数収蔵されている。()

鐘楼
鐘楼
案内所
案内所

薬師堂(旧戸岩寺)
薬師堂(旧戸岩寺)
大日堂
大日堂

(左上)旧戸岩寺 716年の創建で、本尊薬師如来は僧行基によって彫刻され、伊香山(異光山)五ツ岩の麓からこの地に遷された岩にちなんで「戸岩寺」と名付けられた。8世紀末頃から、最澄、空海、慈覚等の高僧が相次いで来錫し、七間四面の薬師堂を始め、大日堂、観音堂、鐘堂、経堂、念仏堂等を建立し、全盛期には岩本坊、阿弥陀坊、開寿坊、真乗坊、道禅坊および長円坊の六坊を構えて栄え、常時20乃至30数名の僧が修行に励んだという。()

観音堂参道
観音堂参道
観音堂
観音堂

與志漏神社鳥居
與志漏神社鳥居
與志漏神社拝殿
與志漏神社拝殿

(上下)與志漏(よしろ)神社 御祭神は神速須佐之男尊(かみはやすさのをのみこと)波多八代宿禰(はたやしろすくね)
草創年月日は不詳であるが、社伝によると世代大明神として古代から東西二里南北五里におよぶ余領(よしろ)郷の氏神として崇敬された大社であった。
御祭神の波多八代宿禰(はたやしろすくね)は古事記、日本書紀では武内宿禰の子、淡海(近江)臣の祖と記されている。社伝では仲哀天皇が角鹿(敦賀)へ行幸の際この地に立ち寄り波多八代宿禰(はたやしろすくね)に命じて賊を退治させ、この地方を治めさせたとあり、古代から氏族の祖として祀られてきた延喜式新名帳にある古社である。()

與志漏神社本殿
與志漏神社本殿
與志漏神社拝殿神額
與志漏神社拝殿神額

伊香具坂神社
伊香具坂神社
古橋製鉄遺跡
古橋製鉄遺跡

(右上)古橋製鉄遺跡 製鉄炉跡は調査の結果、かたい岩盤をくり貫いて炉の床面(縦50cm・横2m)として作られたいわゆる箱型炉であったことが確認されている。年代は出土した須恵器片から6世紀末から7世紀前半に作られたと考えられている。()




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