寳琳院の御朱印
九州四十九院薬師霊場 御朱印

九州四十九院薬師霊場

佐賀の神社・仏閣
寳琳院(ほうりんいん)
【寳琳院の紹介サイトへ】

住所/〒840-0021 佐賀市鬼丸町12-30
TEL/0952−25−2848
アクセス
★電車/JR長崎本線「佐賀」駅より徒歩約40分
       または市バスで「佐賀大学東」下車 徒歩約5分
        あるいは「大井樋」下車 徒歩約3分
★車/長崎自動車道「佐賀大和」ICから約20分
駐車場/約30台(無料)
拝観料/無料  境内自由

石柱門
石柱門
本堂
本堂

天台宗。山号は恵日山。本尊は聖観世音菩薩。
九州四十九院薬師霊場第44番札所。
寺伝によると711年に行基菩薩の建立とされ、境内に行基菩薩の墓石が祀られている。
その後、15世紀末に龍造寺康家は第三男澄覚(ちょうかく)を比叡山で修行させ、当寺の住職とし、山号も宝琳坊から恵日山龍造寺宝琳院と改め、再興を図った。そして龍造寺家の衰亡する江戸時代初期までは、龍造寺家一門が住職となる。()

札所木札
札所木札
本堂扁額
本堂扁額
霊場案内
霊場案内

龍造寺氏は次第に勢力を拡充した。隆信は7歳から当寺に出家し、円月と称して豪覚法印に師事していた。後に村中龍造寺氏の相続が絶えようとしたので、18歳の時に還俗した。そして五州二島の太守となり、薩摩の島津氏、豊後の大友氏と並ぶ九州の三雄と称された。1584年の島原沖田畷の戦いで有馬・島津の連合軍に敗れ、隆信は戦死、その後、実権は鍋島氏に移った。
当寺は龍造寺家の滅亡と共に衰退し、鍋島家より扶助があったが、振興には程遠く寺院の維持にも事欠き、やがて明治維新となり、ますます困窮しわずかに寺院の形骸をとどめるに過ぎず荒廃していた。
1874年(明治7年)の暴風で本堂その他、建物は全て倒壊し廃寺と化した。
爾来、再興の年に燃えていた須古水堂安福寺の嘉瀬慶範(かせけいはん)師が1894年(明治27年)に本堂を仮設した。その後、1929年(昭和4年)から慶範師の師弟嘉瀬範護(かせはんご)師が本格的に再建に取りかかり、歴代の霊廟所および石柱の山門を整備し、1933年(昭和8年)に本堂が落成、1937年(昭和12年)に庫裡の完成となった。()



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