大阪の神社・仏閣
心眼寺(しんがんじ)
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住所/〒543-0016 大阪市天王寺区餌差町2-22
TEL/06−6764−0630
アクセス
★電車/JR環状線、または地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造」駅より徒歩約10分
駐車場/なし
拝観料/無料
開門時間/8:00〜17:00

仁王像・京都見廻組墓所碑
仁王像・京都見廻組墓所碑
山門
山門
仁王像・真田幸村出丸城跡石碑
仁王像・真田幸村出丸城跡石碑

浄土宗。山号は真田山。本尊は阿弥陀仏座像。
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼第11番札所。
当寺の定紋は真田家家紋の六文銭となっている。
安土桃山時代後期の文禄年間(1593〜1596年)に白牟(はくむ)和尚が創建したが、大坂冬の陣のあと取り壊され、1622年4月に海野氏の助力により、大坂冬の陣の陣地跡(真田丸)に真田幸村(信繁)とその子大助の冥福を祈るために再建された。
当寺付近は、真田幸村(真田左衛門佐(さえもんのすけ)豊臣(とよとみの)信繁(のぶしげ))が1614年の大坂冬の陣に、豊臣側にとって手薄な上町台地の大坂城南東二の丸南に、真田丸と呼ばれる砦を造り、松平忠直、井伊直孝、前田利常らを迎え撃った陣地であり、境内地には幸村鎧掛の松の木もあったが、1945年(昭和20年)の大阪大空襲により堂宇ともども焼失した。()

真田信繁墓碑
真田信繁墓碑
本堂
本堂
本堂屋根の六文銭
本堂屋根の六文銭

真田幸村(信繁)は冬の陣では大勝利を収めたが、1615年の夏の陣は茶臼山に陣取り家康の本陣を一気に攻めたが多勢に無勢のため傷つき、安居神社の境内で休息中、松平忠直の配下の鉄砲頭西尾久作とその家来に不意をつかれ、戦場の花と散った。
真田父子の墓は、当時幕府の直轄地のため建立されなかったが、真田幸村400回忌にあたり2014年10月に墓碑が建立された。
真田家の家紋は、死者が三途の川を渡るときの用意にと、棺に納める六道銭から転化したもので、戦いにのぞむ武士の必死の覚悟を表している。()

地蔵堂
地蔵堂
地蔵堂・真田信繁墓碑
地蔵堂・真田信繁墓碑

(上)まんなおし地蔵尊 創建年代は不明。
真田幸村がまん悪きとき、開運の祈願をかけると願いが叶ったと伝えられる。
まんなおしのまんは「間」の転音で「なんてまがよいのでしょう」などという運、めぐりあわせの意味で、まんなおしは不運を幸運に変えることで、運直し・縁起直し・げん直しの意味である。()