真言宗豊山派。山号は雪光山。本尊は十一面観世音菩薩。 国定史跡契沖旧庵跡並墓所。摂津国八十八ヶ所霊場第15番札所。 遠い昔、このあたりに百済・高句麗・新羅から来た使節を迎える鴻臚館があり、三韓坂と呼ばれる坂があった。その坂に一本の榎の霊木があり、地域の信仰を集めていた。
そして1614年の大坂冬の陣のとき、真田信繁(幸村)がここに陣所を構えたが、この信仰を聞き、鎌を打ちつけ鎌八幡大菩薩と称して祈念した。すると大いに戦勝をあげたと伝えられている。以来、悪縁を断ち、病根を断ち、縁切、勝負事祈願の神様として広く信仰を集めてきた。鎌が葛を断ち切るように、悪しき縁や諸病の根源を断ち切る霊験あらたかで、いまも数多くの鎌が打ちこまれている。 江戸時代1690年には、国文学者で有名な高僧契沖阿闍梨が住み、円珠庵と称した。契沖はここで万葉代匠記や和字正鑑要略を著し、国文学の研究に専念すると同時に深く鎌八幡を信仰した。この頃から鎌八幡は祈祷寺として、人々の信仰が広まった。 1922年(大正11年)に、境内全域が大阪市で最初の国の史跡指定を受けたが、境内の大部分は戦災で損壊し、その後に復興したものである。そして今では霊木は蘇生し、絶えなる信仰と多くの霊験が得られている。
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