四条畷神社の御朱印
御朱印

大阪の神社・仏閣
四条畷神社
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住所/〒578-0021 大阪府四條畷市南野2-18-1
TEL/072−876−0044
アクセス
★電車/JR学研都市線「四条畷」駅より徒歩約15分
★車/第二京阪「寝屋川北」出入口または「寝屋川南」出入口より約15分
駐車場/約25台(無料)
拝観料/無料
拝観時間/日の出から日没まで

社号碑・二の鳥居
社号碑・二の鳥居
注連縄
注連縄

御祭神は楠木(くすのき)正行(まさつら)を主祭神として、楠木(くすのき)正時(まさとき)・正家以下一族の将士24柱を配祀。
創建は1890年(明治23年)。
神仏霊場大阪20番。なにわ七幸めぐりのひとつ。()

御妣神社・拝殿
御妣神社・拝殿

楠木(くすのき)正行(まさつら)は、南北朝時代の武将。楠木(くすのき)正成(まさしげ)の嫡男。「大楠公」と尊称された正成(まさしげ)に対して「小楠公(しょうなんこう)」と呼ばれる。
1348年、北朝方の高師直(こうのもろなお)師泰(もろやす)兄弟の六万の大軍相手に、飯森山西の四条畷市から大東市付近一帯で、わずか三千の兵にて激しく戦い(四条畷の戦い)、敗北して退路を断たれ23歳にて自刃する。()

神明鳥居
神明鳥居
楠天神社・有源招魂社
楠天神社・有源招魂社

1868年に地元の住吉平田神社の神主・三牧文吾らが、正行(まさつら)をはじめ、同正時(まさとき)、和田賢秀(かたひで)等四条畷の戦いで南朝に殉じた楠木一族の将兵の霊を祀るために神社創建を願い出て、1889年(明治22年)勅許が出、四条畷神社の社号を受け、正行(まさつら)の墓所の真東1kmの現在地が鎮座地に選ばれた。墓は死後80年ほどして造られたもので、隣に植えられた楠が大樹となり大阪府指定天然記念物になっている。()

桜井の別れの石像
桜井の別れの石像
母と小楠公の石像
母と小楠公の石像

(左上)桜井の別れ 大楠公は死を覚悟の兵庫出陣に当たり桜井駅(大阪府島本町)において11歳の正行(まさつら)に「父の教えを守って正統の天皇に仕える様」と諭された。()



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