住所/〒536-0006 大阪市城東区野江4-1-39TEL/06−6931−6976 アクセス★電車/地下鉄谷町線「野江内代」駅下車すぐ 京阪電車「野江」駅下車 徒歩約5分 ★車/阪神高速守口線「長柄」ランプまたは「森小路」ランプより約10分 駐車場/3台(無料) 拝観料/無料 境内自由
御祭神は水波女大神(みずはのめのおおかみ)。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の御子神で、その神様の水に関する御霊徳を受け継ぎ、宇宙の水と雨とを主宰している。 この地に人が住み始めたのは725年頃で、菜種を栽培し、菜種油を第46代孝謙天皇に献上して、「油江村」の名を賜るが、いつしかなまって「野江村」になった。また、この地は榎並猿楽発祥の地でもある。榎並の猿楽は鎌倉時代末期に丹波猿楽の新座として、このあたりに座を構え、南北朝時代には榎並座と呼ばれ、丹波猿楽の楽頭として活躍した。猿楽は後に観阿弥や世阿弥たちによって舞台芸術である能楽を大成させた。()
元来、このあたりは土地が低く、大雨が降ると淀川やその支流が氾濫し、再々水害を被ったので、水の神様を勧請したものと思われる。世間では当神社を、水神宮、水神社、水神さま、地名から野江神社と称される。1533年10月三好政長(宗三)がこの付近に榎並築城の際たびたび水害を被ったので、水火除難の守護神として城内に小祠を建てて篤く祀ったのが、現在の社殿の位置といわれている。1872年(明治5年)には、村社に列格し、野江の氏神として祭られる。現今の社殿は、1883年(明治16年)の造営にして、1885年(明治18年)の大洪水のために倒壊し、1888年(明治21年)完成後、幣殿の増築、渡り廊下の新築、そして2007年(平成19年)に本殿屋根の銅板葺替をして今日に至る。()