片埜神社のご朱印
ご朱印

大阪の神社・仏閣
片埜(かたの)神社
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住所/〒573-1146 枚方市牧野阪2丁目21-15
TEL/072−857−7775
アクセス
★電車/京阪電車「牧野」駅より徒歩約6分
★車/名神「大山崎」ICより約20分
駐車場/約10台(無料)
拝観料/無料  境内自由

正面鳥居
正面鳥居
南門(表門)
南門(表門)

延喜式内河州一之宮。
御祭神は、建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)八島士奴美命(やしましぬみのみこと)菅原道真公(すがわらみちざねこう)を主神として11柱の神々を奉祀。()

拝殿
拝殿
本殿
本殿

第11代垂仁天皇の御代に出雲国豪族野見宿禰(のみのすくね)当麻蹴速(たいまのけはや)との相撲に勝ち、その恩賞にこの辺り一帯を拝領し、出雲の祖神素戔嗚尊(すさのおのみこと)をこの地に奉祀して、土師(はじ)氏の鎮守としたのが始まり。
その後、欽明天皇の勅願をもって片野神社と称し、平安時代960年に野見宿禰(のみのすくね)の後裔菅原道真公を併祀した。()

拝殿
拝殿
依姫社
依姫社

平安時代は広大なる神域・神領と広壮な社殿を有し、官幣の社として社運隆盛を極めたが、戦国の争乱で幾度かの兵火にあい荒廃していたのを豊臣秀吉が修築した。大阪築城の際には(うしとら)(東北)の方位に当たる此の社を錦城の鬼門鎮護の社と定めて尊崇し、今も天守閣と当社が互いに艮の方位上で一線に結ばれ相対している。
さらに1602年、豊臣秀頼は片桐且元を総奉行として、本殿・拝殿・築地・経堂・別当などを大造営した。現在の本殿・南門がそれである。特に本殿は桃山建築の粋として国の重要文化財に指定されている。()

東鳥居
東鳥居
東門
東門

当社は大阪の鬼門除、方除社として篤く崇敬され、昔から普請、造作等土木や建築工事の際、また転居、嫁入り、旅行などのときに方除札と清めのお砂を授与している。
なお京阪間における方除三社とは、当社と鳥羽の城南宮と堺の方違神社をさす。()

稲荷社
稲荷社
阿弖流爲・母禮之塚
阿弖流爲・母禮之塚

(右上)阿弖流爲(アテルイ)母禮(モレ)之塚 「阿弖流爲」はアテルイ、「母禮」はモレと読み、ともに古代東北の族長である。
約1200年前、桓武朝の二大政策の一つに東北経営の建て直しがあった。(もう一つは言うまでもなく天武系皇統の宮都であった平城京を棄て、あらたに天智系皇統の宮都を造ることである。)そこで、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され蝦夷征伐が行なわれた。東北には、これまで幾度か出兵があり、その度、失敗に終わっていたのが、このときは阿弖流爲(アテルイ)母禮(モレ)らが一族500余人を率いて田村麻呂のもとに投降してきた。田村麻呂はこの二名の助命を嘆願して郷里に戻し、彼らを通して一類の帰服を促すことを考え、二人を伴って上京した。これは阿弖流爲(アテルイ)を信頼するに足る人物と見たからである。しかし公卿たちは、彼らを奥地に放還するのは将来に禍根を残すものだとして是認せず、この地で二人の首をはねてしまう。()