玉造稲荷神社のご朱印
ご朱印

大阪の神社・仏閣
玉造稲荷神社
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住所/〒540-0004 大阪市中央区玉造2丁目3-8
TEL/06−6941−3821
アクセス
★電車/JR環状線・地下鉄中央線・地下鉄長堀鶴見緑地線「森ノ宮」駅、
     JR環状線・地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造」駅より徒歩約10分
★車/阪神高速東大阪線「法円坂」または「森之宮」出入口より約5分
駐車場/約10台(無料)
拝観料/無料  境内自由

参道
参道
社号碑
社号碑

御祭神は宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、相殿に下照姫命(したてるひめのみこと)稚日女命(わかひるめのみこと)月読命(つきよみのみこと)軻遇突智命(かぐつちのみこと)を祀る。
垂仁天皇18年(紀元前12年)に創祀されたと伝えられる。()

拝殿
拝殿
豊臣秀頼公奉納鳥居
豊臣秀頼公奉納鳥居

587年に聖徳太子が仏教問題で物部守屋と争われた際、当神社へ祈願され、玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこれに枝葉を生ぜしめよ」と栗の白木を差し込んだ。すると枝が延び若葉も生え、無事物部氏との争いも勝利したことで、太子自ら十一面観音像、多聞不動像を作り祀られ、当地へ長楽寺観音堂を建立された。これより当社は元四天王寺と呼ばれている。
(また森之宮にある鵲森宮も元四天王寺であるという伝承が残されている。)()

胞衣塚大明神
胞衣塚大明神
厳島神社
厳島神社

戦国時代、豊臣秀吉による大坂城築城により、社域が城内となったことから大坂城の鎮守神として祀られ、神社付近には名だたる武家・町人が屋敷を構えた。また豊臣秀頼と母・淀殿の崇敬が特に篤く社領500石を寄進し、1603年には片桐且元、加藤嘉明に命じ、天正年間に荒廃した社殿を再興し、その銘が入った鳥居も境内に現存している。
また秀頼と淀殿を結ぶ胞衣(卵膜、胎盤など)を祀る胞衣塚(よなづか)大明神も鎮座している。()

「玉造黒門越瓜ゆかりの地」記念碑
「玉造黒門越瓜ゆかりの地」記念碑
伊勢迄歩講起点碑
伊勢迄歩講起点碑
豊臣秀頼公銅像
豊臣秀頼公銅像

江戸時代になっても崇敬は変わらず、大坂城代が入城する祭には、必ず定紋の提灯を奉納し参拝した。稲荷社十五社巡りをはじめとする史料には大坂稲荷社の御本社と記され、大坂三十三所観音の10番札所でもあり、多くの参拝者で賑わった。
そして社域は徐々に武家の力が衰えはじめ、商人の町へと姿を変え、当時60年に一度流行る伊勢参りでは西日本の玄関口として栄えた。また伊勢参りが盛んに行われた頃、大坂城の玉造門付近で良質な瓜が採れ、粕かす漬けとして浪花名産となった玉造黒門越(白)瓜は、2005年(平成17年)に「なにわの伝統野菜」として認証された。
前社殿は1945年(昭和20年)に第二次世界大戦で焼失し、現在の社殿は1954年(昭和29年)に再建された。()