高城山子安観音の御朱印
御朱印

大分の神社・仏閣
高城山子安観音
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住所/〒870-0158 大分市千歳岡7組
TEL/097−558−1299(吉祥院)、097−558−1350(観音院)
アクセス
★電車/JR日豊本線「高城」駅より徒歩約15分
★車/東九州自動車道「大分米良」ICから約15分
駐車場/約30台(無料)
拝観料/無料

本堂
本堂

天台宗。山号は高城山(たかじょうさん)。本尊は如意輪観世音菩薩。
九州西国霊場第9番札所、豊後西国観音霊場第1番札所。()

仁王像・参道
仁王像・参道
山門
山門

和同年間(708〜715年)この地に勢力を持っていた豪族阿曽(あそ)小連(こむらじ)は高城山麓に住む古我中納言の娘を娶り、やがて懐妊したが、出産のときは大変な難産となった。七昼夜苦しみ、賢医名婆が秘術を尽くしてもその甲斐がない。その時、小連(こむらじ)はかって自ら(なた)彫りした如意輪観音像を朝夕拝んでいたが、結婚してからは妻に夢中でいつしか厨子の扉を開けることすら忘れていたことに気づいた。そこで厨子に飛んでいき懸命になって祈ると、やがて遠くから産声が聞こえ、見事な男児が生まれた。それから小連(こむらじ)はさらに如意輪観音を敬うようになり、近隣の者にも礼拝を許した。727年諸国遊行中の僧に頼み、(なた)彫りのままの如意輪観音に一刀三礼してノミを入れてもらい開眼供養を行った。この僧こそ行基菩薩であったという。当初は生まれてくるのを慶ぶとの意味で生慶寺と呼んだ。これが開基と伝わる。()

山門扁額
山門扁額
慈眼堂・阿曽小連像
慈眼堂・阿曽小連像

戦国時代は島津と大友の戦乱で堂宇は焼かれたが、本尊は池に沈められ難を逃れた。数十年後に浮かんできたので再興されたという話もある。1945年(昭和20年)の空襲でも全焼したが、本尊は住職に背負われ難を逃れた。現在の本堂は1990年(平成2年)の再建。
旧暦1月17・18日が初観音大祭で、吉祥院と観音院が交互に本尊を守り、安産や各種祈願を受け付けている。()



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