海龍王寺のご朱印
ご朱印

奈良の神社・仏閣
海龍王寺
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住所/〒630-8001 奈良市法華寺北町897
TEL/0742−33−5765
アクセス
★電車/近鉄奈良線「新大宮」駅より徒歩約15分
      JR「奈良」駅または近鉄「大和西大寺」駅、「近鉄奈良」駅より
        バスで「法華寺前」下車すぐ
★車/京奈和自動車道「木津」ICより約10分
    第二阪奈道路「宝来」ICより約12分
    西名阪自動車道「郡山」ICより約25分
駐車場/約10台(無料)
拝観時間/9:00〜16:30
      (特別公開/9:00〜17:00)
拝観料/400円(特別公開/500円)
       ※ただし8月12日〜17日 12月24日〜31日は休み

表門
表門
中門
中門

真言律宗。本尊は十一面観音。大和北部八十八ヶ所霊場第19番札所。
この場所には飛鳥時代より毘沙門天を祀った寺院があり、藤原不比等の邸宅が造営されたときも取り込まれる形で存在していた。そして731年、その邸宅跡に不比等の娘・光明皇后の皇后宮が建てられ、平城京の東北(鬼門)を護るために海龍王寺として創建した。東北隅にあることより隅寺(すみでら)とも呼ばれる。()

本堂
本堂
一切経蔵
一切経蔵

734年10月、唐から帰国中の玄ム(げんぼう)らが乗った四隻の船団が東シナ海で暴雨風に襲われ、玄ム(げんぼう)が乗った船だけかろうじて種子島に漂着し、翌年3月に帰京出来た。この時、玄ム(げんぼう)が持ち帰った五千余巻の経典の中に海龍王経という経典が収められており、東シナ海で漂いながら一心に海龍王経を唱え、九死に一生を得て貴重な多数の経典をもたらした玄ム(げんぼう)は、その功績により僧正に任ぜられるとともに海龍王寺初代住持にも任ぜられた。また海龍王経を用いて遣唐使の航海安全の祈願を営んだことで、聖武天皇から寺号を海龍王寺と定められ勅額を賜った。
この時期、海龍王寺では写経も盛んに行われ、光明皇后が般若心経および自在王菩薩経を一千巻書写され、後には弘法大師空海も自身の渡唐の安全祈願のために一千日間参籠して般若心経一千巻を書写しており、大師の遺巻とされる般若心経の写経(隅寺心経)が残されている。()

海龍王・空海龍王
海龍王・空海龍王
生木地蔵
生木地蔵

鎌倉時代には1236年に西大寺を中興した興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)が起住し、その後も叡尊の高弟が住するとともに西金堂内の五重小塔を戒壇とした受戒の儀式を行い、真言律宗の筆頭格寺院 、律法中興の道場として栄えた。
しかし、室町時代になり京都で応仁の乱が起こると奈良も影響を受け、大和に攻め込んできた軍勢により打ち壊しや略奪の被害に遭った。
江戸時代になり徳川幕府から知行百石を受けることとなり、本堂や仏画の修理が行われると同時に御役所代行所としての役割を果たすようになるが、明治時代の廃仏毀釈では東金堂や多数の什器を失うこととなった。
その後、1965〜67年(昭和40〜42年)には西金堂、経蔵の解体修理をはじめ国宝五重小塔の返還と西金堂への安置、本堂の修理及び伽藍の復興が行われ、現在に至る。()

五重小塔
五重小塔
西金堂
西金堂
東金堂跡
東金堂跡

(右上)西金堂(重要文化財) 奈良時代の建立(鎌倉時代と1965〜61年に大修理)。内部に五重小塔(国宝)を安置する。
また西金堂と向かい合う形で東金堂もあったが、明治時代の廃仏毀釈の影響を受け、現在は基壇の跡を残すのみである。(創建当時には東金堂にも五重小塔が納められており、東西の両小塔が伽藍を形成していた。)()