生目神社のご朱印
ご朱印

宮崎の神社・仏閣
生目(いきめ)神社
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住所/〒880-2103 宮崎市生目亀井山345
TEL/0985−47−8272
アクセス
★電車/JR日豊本線「南宮崎」駅より徒歩約5分にある「宮交シティ」バスセンターより
       宮崎交通バスにて「生目神社」バス停下車 徒歩約5分
★車/東九州自動車道「宮崎西」ICより約10分
駐車場/約100台(無料)
拝観料/無料

一の鳥居
一の鳥居
参道
参道

主祭神に品陀和気命(ほむだわけのみこと)(応神天皇)、藤原景清公を、相殿に彦火瓊々杵尊(ひこほににぎのみこと)彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を祀る。
古来、生目八幡宮(活目とも書く)と称していたが、明治維新に至り、生目神社と改称した。
昔より眼疾に霊験あらたかなりとして崇敬まことに厚く、「日向の生目八幡様」として広く知られ、九州はもとより、北は北海道、本州から祈願される参詣者も多い。
創建に関しては、元亀、天正の兵火で古書、棟札等が焼失し詳しくないが、「宇佐大鑑」には1056年に既に八幡社が建立されてあったと記され、またわずかに残された棟札によっても 1450年に遷宮祭が行われたことが知られる。1556年には既に多くの社領神田を有していたとも記されている。()

二の鳥居
二の鳥居
拝殿
拝殿

起源は種々の説があり、一説には景清公が、日向下向に際し居を此地に撰び閉居され生を卒えられた。公の没後、公の活けるが如き霊眼を斉き祀ったこと。
また一説には当地は古より霊地として眼疾患者を活かすに霊験あり古人はその神徳を生目(活目)八幡宮と称え奉ったという。
あるいは、垂仁天皇の御子景行天皇が御父君垂仁天皇(活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさちのみこと)の命日に偲んでこの地にて神霊祭(みたままつり)を営んだのを住民等は歓迎し聖地として永く奉斉し活目八幡宮と称え奉ったともいう。
景清物(かげきよもの) 壇ノ浦の戦いで平家は源氏との戦いに敗れ、源氏に捕えられた平景清は、勇猛な武将であったため、敵の総大将だった源頼朝にその武勇を惜しまれ、死罪ではなく日向に流される。僧侶となって日向で暮らしていた景清だが「源氏の繁栄する世を見たくない」と言い、自分の両目をえぐり取ってしまう。そして、その目を空に放り投げたら、この場所に落ちたといわれている。()



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