昌龍寺の御朱印
九州四十九院薬師霊場 御朱印

九州四十九院薬師霊場

宮崎の神社・仏閣
昌龍寺(しょうりゅうじ)
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住所/〒882-0301 宮崎県西臼杵郡日之影町大字七折2369-1
TEL/0982−88−1327
アクセス
★電車/JR日豊本線「延岡」駅下車
     宮崎交通バスにて高千穂行で「舟の尾」下車 徒歩約10分
★車/九州中央自動車道「蔵田」出口より約10分
駐車場/約10台(無料)
拝観料/無料

石柱門
石柱門
山門
山門

曹洞宗。山号は雲峰山(うんぽうざん)。本尊は釈迦如来。
九州四十九院薬師霊場第19番札所。藤江監物(ふじえけんもつ)父子の菩提寺。
高千穂城主三田井公が綱ノ瀬の要害地を津隈太郎左衛門に警護を命じた。津隈氏は八戸に城を構え、1521年に菩提寺を建立、肥後から追仏の薬師如来を勧請して薬現寺と称したのが始まりという。
1591年に城主三田井親武公が家臣宗雪に殺された。この戦いで津隈氏は山神峠に逃れ、檀越を失った薬現寺も荒廃したが、1624年に津隈宣次が現地に移して再興、開山に月山心浦和尚を迎え、雲峰山(うんぽうざん)昌龍寺(しょうりゅうじ)と改称して現在に至る。()

監物堂
監物堂
山門扁額
山門扁額

当寺は延岡藩舟の尾代官所跡の近くにある。舟の尾代官所は1626年から1844年宮水に移るまで、220余年という長きにわたり高千穂地方を統治する任に当たっていた。この間、延岡藩主は代わり、牧野氏の代に家老藤江監物(ふじえけんもつ)が讒言により獄死するという事件が起こった。1712年に牧野成央氏が三河国吉田より延岡藩主に移封。しかし13歳で若くして病死したため、本家より10歳の貞通を嗣養子に迎え、藤江監物(ふじえけんもつ)が後見人として随行した。家老の監物は、水利に悩む農民の救済を図り、五ヶ瀬川より用水路の開削をすすめたが、費用を軍用金から流用していると讒言されて、監物父子は舟の尾の牢屋に捕らえられた。1731年、入牢して3ヶ月目に長男図書が、続いて監物が獄死した。その後、郡奉行江尻喜多衛門の手により用水路は完成したが、農民感情は監物父子に集まり、次男、三男は許されて家名を回復している。
1998年(平成10年)に現本堂をすべて地元の欅・檜材を使って新築し、薬現寺の本尊であった薬師如来像を修復して現世に甦らせた。()

本堂
本堂
昌龍不動尊像
昌龍不動尊像



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