勧修寺のご朱印
ご朱印 ご朱印

京都の神社・仏閣
勧修寺(かじゅうじ)
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住所/〒607-8226 京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6
TEL/075−571−0048
アクセス
★電車/地下鉄東西線「小野」駅から徒歩6分
★車/名神「京都東」ICから約10分
駐車場/約50台(無料)
拝観料/400円
拝観時間/9:00〜16:00

山門
山門
大玄関
大玄関

真言宗山階(やましな)派の大本山。山号は亀甲山。真言宗十八本山霊場のひとつ。
平安時代中期の900年に醍醐天皇の母である藤原胤子(いんし)を弔うために胤子(いんし)の母の実家である宮道(みやじ)家邸宅を寺に改めたのが始まりといわれる。天皇の祖父に当たる藤原高藤の諡号をとって勧修寺と名付けられ、のちに醍醐天皇の勅願寺となった。()

修行大師尊像
修行大師尊像
観音堂
観音堂
五大堂
五大堂

鎌倉時代に後伏見天皇の皇子寛胤法親王が16世として入寺されてからは門跡寺院となり、江戸時代には徳川家綱、綱吉の帰依を受け、伽藍の整備が進められた。現在、境内南寄りに氷室(ひむろ)池が大きく広がり、その北に書院、宸殿、本堂が並んでいる。
書院は、1673年より建てられた後西院御所の旧殿を1686年に下賜されたものである。平面は門跡の御座の間であった御座所、対面所であった広間を中心に小室や鞘の間、広縁が配され、なかでも御座所の西桜棚は有名である。この建物は院御所の建築遺構として貴重であり、重要文化財に指定されている。()

宸殿
宸殿
本堂
本堂

宸殿は1676年造営の明正院御所御対面所を1697年に下賜されたものである。内部は南端に上段の一の間を配してその北に二の間、三の間を続け、一の間には幅2間の床と1間の棚、そして付書院を備えた書院造の構成になっており、院御所当時の姿を良く伝えている。
本堂は1662年造営の仮皇居内侍所仮殿の旧材を用いて1672年に灌頂道場として建築されたものである。宸殿と本堂は1985年6月1日に京都市指定有形文化財に指定された。()

氷室池庭園
氷室池庭園
ハイビャクシンと勧修寺灯篭
ハイビャクシンと勧修寺灯篭

庭園は平安時代以来と伝えられる氷室(ひむろ)池を中心とする池泉庭園と書院の南に広がる平庭の二つの部分からなる。氷室(ひむろ)池は平安時代には毎年1月2日にこの池に張る氷を宮中に献上し、その氷の厚さによってその年の五穀豊凶を占ったと言われ、京都でも指折りの古池になっている。また1935年(昭和10年)には観音堂が新築され、夏の睡蓮や蓮、冬の水鳥の群れなど、四季折々の見所がある。書院前の庭にある大きな傘を持つ灯篭は水戸黄門で知られる水戸光國の寄進と伝えられ、「勧修寺型灯篭」と呼ばれている。その周りには樹齢約700年と伝えられるハイビャクシンが植えられている。勧修寺庭園は1988年(昭和63年)5月2日京都市文化財保護条例により、京都市指定名勝とされた。()

梅と観音堂
梅と観音堂
佛光院
佛光院

(右上)佛光院 1951年(昭和26年)4月、勧修寺の塔頭があったと伝えられる地に、大石順教尼(じゅんきょうに)によって再興建立された寺院である。順教尼(じゅんきょうに)は、もと大阪堀江の名妓で妻吉(つまきち)といったが、1905年(明治38年)6月、中川万次郎六人斬り事件の巻き添えとなって17歳の身で両腕を斬り落とされた。この不幸のどん底から数々の苦難を乗り越え、求道者として出家得度し、犠牲者の追善と共に身体障害者の救済に生涯を捧げた。両手のないままに口に筆をくわえて書画を描き、非凡な才能を示し日展に入選、また日本人として初めて世界身体障害者芸術家協会の会員にも選ばれた。
いまは勧修寺の納経所にもなっている。()