西院春日神社のご朱印
西院春日神社 ご朱印

西院春日神社
野々宮神社 ご朱印

野々宮神社
還来神社 ご朱印

還来神社

京都の神社・仏閣
西院春日神社
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住所/〒615-0015 京都市右京区西院春日町61
TEL/075−312−0474
アクセス
★電車/阪急、京福「西院」駅下車 徒歩約10分
     または、市バス「西大路四条」バス停下車 徒歩約10分
★車/名神「京都南」ICより約15分
駐車場/無料(7〜8台)
拝観料/無料  境内拝観自由

一の鳥居
一の鳥居
拝殿
拝殿

御祭神は建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)(第一殿)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)(第二殿)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)(第三殿)、比売神(ひめがみ)(第四殿)。
建御賀豆智命(たけみかづちのみこと) : 建布都神、豊布都神ともいい、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の命を受け、大国主命と国譲りの交渉を成功させた神であり、武道の神として信仰がよせられている。
伊波比主命(いわいぬしのみこと) : 建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)と共に、高天原より降りて国譲りの交渉を成功させられた武道の神。
天児屋根命(あめのこやねのみこと) : 中臣氏(藤原氏)の祖神で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸にこもったとき、岩戸の前で太祝詞言を奏上した神で、学問の神として崇められている。
比売神(ひめがみ) : 天美津玉照比売神ともいい、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の妃にあたる。

舞殿
舞殿
社務所
社務所

833年2月28日淳和天皇が仁明天皇に皇位を譲り淳和院(西院)に移った時、天皇は奈良の春日神社から分霊を迎え淳和院の守護神としたのがはじまり。
淳和天皇の皇女・崇子(たかこ)内親王の疱瘡(ほうそう)が、春日大神の威光で回復したことより、皇室から病気平癒や災難厄除けの守護神と崇められている。

西の鳥居
西の鳥居
淳和院礎石
淳和院礎石

西院還来(もどろき)神社
御祭神は淳和天皇皇后正子(しょうし)内親王命。874年淳和院が火災にあったとき、皇后正子(しょうし)内親王命は逃げ惑う女官や側近達に「この屋敷は類焼をまぬがれ、必ずもどり還ることができるゆえ、心を鎮めてしばらくの間立ち退くべし」とさとし、避難の指示をしたところ、その言葉通りに御殿は類焼をまぬがれた。後世この功績を称えて「還来の大神」として祀られた。現在は旅行安全の守護神として信仰されている。
西院野々宮神社
御祭神は倭姫命(やまとひめのみことと)布勢内親王(ふせないしんのう)。共に伊勢神宮に仕えた斎王で、倭姫命(やまとひめのみことと)は垂仁天皇、布勢内親王(ふせないしんのう)は桓武天皇の皇女である。この地は、平安時代に伊勢神宮の斎王に選ばれた皇女が、伊勢へ赴くまでの間、心身を清めるための潔斎所が築かれた聖地で、各地に残る「野々宮」(野宮)の発祥とされている。
小倉百人一首におさめられている
 あひみての後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
という歌は、雅子内親王(醍醐天皇皇女)を想い藤原敦忠が詠んだものである。江戸時代以降は、西院春日神社の御旅所とされ、現在でも10月第二日曜には神輿二基が渡御され、祭典が営まれている。
歴代天皇一覧 ⇒伊勢の斎王をイラストで紹介するページ斎宮物語

嵐電・西院駅名標
嵐電・西院駅名標
阪急・西院駅名標
阪急・西院駅名標

阪急電車、嵐電ともに駅名は西院と記すが、阪急電車は「さいいん」、嵐電は「さい」と呼ぶ。