(左上)瑞饋神輿(京田辺市指定文化財) 秋に収穫される26種類ほどの野菜や穀類で飾られる神輿で、屋根は瑞饋(サトイモの葉柄)で葺かれる。明治時代の中頃から造られるようになった。1929年(昭和4年)で中断していたが、1975年(昭和50年)に一部の模型を製作、1978年(昭和53年)に瑞饋神輿保存会が結成され、以後は隔年で製作、10月の体育の日に田辺区域内を巡行する。
(右上)松寿院跡 天満神社を祀る式内棚倉孫神社の神宮寺として建立し、真言宗智積院の管下にあった。淀城主の鳥居寄進についての古文書に宛名が社僧松寿院と記録されていることより、当時は天満宮を松寿院が管理していたことがわかる。 明治初期の神仏分離で本院は廃寺となったが、1858から1871年(明治4年)まで寺子屋として子供の教育の場に使用され、1872年(明治5年)の学制発布により田辺小学校開設準備が始まり、その間、本院が田辺小学校の仮校舎として使用され、1873年(明治6年)5月に田辺小学校校舎が新築完成と同時に本院は棚倉孫神社の社務所となった。
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