来迎院のご朱印
ご朱印

京都の神社・仏閣
来迎院(らいごういん)
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住所/〒601-1242 京都市左京区大原来迎院町537
TEL/075−744−2161
アクセス
★電車/JR「京都」駅、京阪「出町柳」駅、あるいは市営地下鉄「国際会館」駅から
    京都バス「大原」下車 徒歩約15分
★車/名神「京都南」IC、「京都東」ICより40〜50分
駐車場/なし(近隣に民間駐車場有)
拝観料/400円
拝観時間/9:00〜17:00

山門
山門
鐘楼
鐘楼

天台宗。山号は魚山(ぎょざん)
1109年叡山東塔の堂僧であった聖応(しょうおう)大師良忍(りょうにん)が建立した。創建当時の来迎院(らいごういん)は、三尊院と称し多数の堂塔伽藍があったが、1426年11月火災で焼失した。その後大原は、上院来迎院(らいごういん)と下院勝林院(しょうりんいん)を中心として坊が集落化する別所となり魚山(ぎょざん)大原寺(だいげんじ)と総称した。()

本堂
本堂
鎮守堂・獅子飛石・地蔵堂
鎮守堂・獅子飛石・地蔵堂

大原は仁寿(にんじゅ)年間(851〜854年)に円仁(えんにん)慈覚大師(じかくだいし))が、声明(しょうみょう)(仏教歌謡)の修練道場として開山した。円仁が唐に留学した際、五台山の太原(タイユワン)を中心に五台山念仏(声明)が流行していたのを学び、帰国後比叡山に伝えた。この大原の地形は太原と類似していたので声明(しょうみょう)の根本道場と定められた。声明(しょうみょう)とは経文に音曲をつけて歌詠するもので、音楽的な色彩が強く後の邦楽(今様・浄瑠璃・謡曲・民謡など)に強く影響を与えた。その後、藤原時代に俗化した叡山を離れた念仏聖が修業する隠棲の里となり、来迎院(らいごういん)と同じ時期に寂源(じゃくげん)勝林院(しょうりんいん)(1013年)を建立した。()

御廟:聖応大師良忍上人三重石塔
御廟:聖応大師良忍上人三重石塔
音無の滝
音無の滝

良忍は融通念仏(ゆうづうねんぶつ)の開祖でもあり、円仁が伝えた声明を統一した魚山流声明を集大成した。この魚山流はその後天台声明の主流となる。盛時には坊が49あったといわれ声明を修練する僧侶や貴族が数多く集まり妙音のこだまする里として隆盛をきわめた。そこで叡山は1156年梶井政所(現在の三千院)を設置し魚山大原寺の統括を計った。
本堂には、藤原期の薬師・阿弥陀・釈迦三尊仏(重要文化財)を安置し、寺宝として伝教大師の得度や受戒に関する文書類三点を一巻とした伝教大師度縁案並僧綱牒(どえんあんならびにそうごうちょう)(国宝)などを蔵するが、現在は東京国立博物館に寄託している。
山道を更に約200m上がった所には良忍が声明を唱えていると、声明の音律と融合して水音が消えたといわれる音無(おとなし)の滝がある。()