もとは室町通り大炊御門の北にあり、第54代仁明天皇の第3皇子時康親王の御殿であった。 親王は当時の医薬では治らないほどの眼病であったが、加茂の明神に平癒祈願のため17日間参籠すると、夢の中に老翁が現れ「眼病平癒を求めなば地蔵菩薩を刻して守護仏となすべし」と告げた。そこで慈覚大師に仏像をつくらせ、これを明眼地蔵とし祈願したところ治ったという。以来、眼病治癒祈願として信仰されるようになった。その後、親王は第58代光孝天皇となる。
887年に光孝天皇没後、小松殿はその遺志により天台宗の小松寺に改められた。その後は衰退したが、鎌倉時代に一遍上人が時宗道場の小松院聞名寺として中興したとされる。 1708年の大火で焼失したため現在の地に移った。 本堂の前に立つ七重石塔は光孝天皇が祀られており、光孝天皇塔と称される軸部は室町時代のものといわれる。
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