安楽寺の御朱印
御朱印

京都の神社・仏閣
安楽寺
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住所/〒606-8422 京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町21
TEL/075−771−5360
アクセス
★電車/JR京都線「京都」駅、阪急「四条河原町」駅から
       市バス「錦林車庫前」下車 徒歩約10分
★車/名神「京都東」ICあるいは「京都南」ICより約20分
駐車場/なし
一般公開期間/
  春 さくら 4月上旬の土日
    つつじ 5月上旬の土日・祝日
    さつき 5月下旬〜6月上旬の土日
  夏 鹿ヶ谷カボチャ供養 7月25日
  秋 もみじ 11月全土日・祝日、12月上旬の土日
拝観料/500円
拝観時間/9:30〜16:30

山門
山門
山門
山門

浄土宗系単立寺院。通称、松虫鈴虫寺(まつむしすずむしでら)
鎌倉時代初期、法然の弟子である住蓮と安楽が現在地より東約1kmに鹿ヶ谷草庵を結んだことに始まる。()

本堂
本堂
佛足石
佛足石

住蓮と安楽は唐の善導大師の「往生礼讃」に譜曲を付し六時礼讃声明を完成した。両人の声明は非常に美しく、参詣者の中には出家して仏門に入るものもあり、その中に後鳥羽上皇に女官として仕えていた松虫姫と鈴虫姫姉妹がいた。
両姫は容姿端麗で教養も豊富ゆえに上皇から寵愛を受け他の女官達は嫉妬し、いつしか両姫は虚飾に満ちた御所の生活に苦悩し出家を望むようになった。
1206年、後鳥羽上皇の熊野詣での留守中に両姫は鹿ヶ谷草庵を訪れ、剃髪出家し尼僧となった。松虫姫は19才、鈴虫姫は17才であった。()

境内の紅葉
境内の紅葉
庭園
庭園

この事を知った上皇は激怒し、この出来事を口実に専修念仏教団に対し弾圧企てた。
1207年、松虫姫を出家させた住蓮は近江国馬淵(現在の滋賀県近江八幡市)で斬首、鈴虫姫を出家させた安楽は京都六条河原で斬首、法然は75歳の高齢にも拘わらず讃岐国に流罪、親鸞は越後国に流罪に処された。
その後、両姫は瀬戸内海の生口島の光明坊に移り、念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35才、鈴虫姫は45才で往生を遂げたと伝えられる。()

庭園
庭園
庭園
庭園

住蓮と安楽の亡き後 、鹿ヶ谷草庵は荒廃したが、流罪地から帰京した法然が両人の菩提を弔うために草庵を復興し、住蓮山安楽寺と名付け追善の寺とした。
その後、天文年間(1532〜1555年)現在地に本堂が再建され今日に至っている。()

山門石段
山門石段
パンフレットより
パンフレットより
パンフレットより
パンフレットより

本堂は常行三昧堂として使われていた方形裳階造の堂宇を江戸時代後期に、数寄屋風の書院も江戸時代末期に移築された。
茅葺きの山門は1892年(明治25年)の建立で、これら三つの建造物は2003年(平成15年)に国有形文化財となった。
夏の土用に鹿ケ谷カボチャを食べると、中風にかからないという言い伝えから、参拝者に鹿ケ谷カボチャを接待している。()



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