大原野神社のご朱印
ご朱印

京都の神社・仏閣
大原野神社
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住所/〒610-1153 京都市西京区大原野南春日町1152
TEL/075−331−0014
アクセス
★電車/阪急京都線「東向日」駅、あるいはJR京都線「向日町」駅より
       阪急バス「南春日町」下車 徒歩10分
★車/京都縦貫自動車道「沓掛(くつかけ)」ICから約10分
     または「大原野」ICから約7分
駐車場/50台(400円)
拝観料/無料  境内自由

一の鳥居
一の鳥居
一の鳥居神額
一の鳥居神額

人皇50代桓武天皇が、784年大和の奈良から長岡京(784〜794年)へ遷都した際、天皇はしばしば大原野へ鷹狩りに出かけた。その節には藤原氏の人々も多く参加していたが、それらの人々はこの地の風景の美しいのを賞でて、氏神である奈良春日神社の分霊をうつし祀ることにした。これが大原野神社の始まりである。その後850年に左大臣藤原冬嗣の娘である順子を母とした文徳天皇は祖父冬嗣の願望より壮麗な社殿を造営した。1871年官幣中社に列せられたが、第二次大戦のあと国家からの援助は打ち切られ現在に至る。()

参道(三の鳥居)
参道(三の鳥居)
拝殿
拝殿

御祭神は藤原氏の氏神である春日大社の四柱の神様で、武甕槌命(たけみかづちのみこと)建御賀豆智命(たけみかづちのみこと))、経津主命(ふつぬしのみこと)伊波比主命(いわいぬしのみこと))、天児屋根命(あめのこやねのみこと)天之子八根命(あめのこやねのみこと))、比売神(ひめがみ)が祀られている。
第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)建御賀豆智命(たけみかづちのみこと))は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫 瓊々杵命(ににぎのみこと)高天原(たかまがはら)から降臨されたとき出雲地方を占拠していた大国主命(おおくにぬしのみこと)父子に、国を譲るよう交渉して成功を収めた建国の功臣で、利根川の下流の北岸にある常陸(茨城県)の鹿島に鎮座され蝦夷征伐軍の守護神として崇められ、奥羽地方の開拓が進むにつれて、各地に祀られた。
第二殿の経津主命(ふつぬしのみこと)伊波比主命(いわいぬしのみこと))も利根川下流の南岸の香取(下総国=千葉県)に祀られる武功の神であって、天孫降臨の時国譲りのことで活躍した。
第三殿の天児屋根命(あめのこやねのみこと)天之子八根命(あめのこやねのみこと))は神と人間との間をとりなす中臣氏の先祖で、天岩戸開きの時に活躍した。中臣氏から藤原氏が出て繁栄するようになってから藤原氏の氏神として篤く祀られるようになった。
第四殿の比売神(ひめがみ)天児屋根命(あめのこやねのみこと)天之子八根命(あめのこやねのみこと))の后神(きさきのかみ)と考えられている。
また摂社若宮社(祭神天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)一座)、末社八坂社・稲荷社・八幡社(相殿恵比須社・白髭社・藤森社)・祓戸(はらいど)社のほか、境外摂社である樫本神社(仁徳天皇を祀る)がある。()

摂社若宮社
摂社若宮社
社務所
社務所

文徳天皇の仁寿元年(851年)始めての勅祭が行われ、春秋二季を例典とされた。はじめ藤原氏の一族では女が生まれると、中宮や皇后になれるように祈り、祈願通りの地位につくと美しい行列を整えて参拝することが例となった。左大臣藤原道長の娘・中宮彰子(あきこ)や清和天皇の皇后・藤原高子(たかこ)のときは有名である。その後足利時代の末頃には戦乱が相次ぎ、社領も次第に失われ、式年造営もほとんど欠典になった。しかし徳川の末期には本社の官祭復興があり、大正時代には時の皇后・貞明皇后が藤原氏(九条家)出身であることから当社に行啓された。()

鯉沢の池
鯉沢の池
瀬和井
瀬和井

(左上)鯉沢の池 左大臣藤原冬嗣を祖父とした文徳天皇は、壮麗な社殿と共に鯉沢の池もつくった。この池は名泉瀬和井と水系を一つにして杜若や水連を咲かせている。
(右上)瀬和井(せがい) 清和天皇産湯の清水とも伝えられている。()