本能寺の御朱印と御首題
御朱印

御朱印
御首題

御首題
塔頭源妙院

塔頭源妙院

京都の神社・仏閣
本能寺
【本能寺のサイトへ】

住所/〒604-8091 京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
TEL/075−231−5335
アクセス
★電車/地下鉄東西線「市役所前」駅からすぐ
      京阪電車「三条」駅より東へ徒歩約5分
      阪急電車「河原町」駅より北へ徒歩約10分
      京都市バス停「河原町三条」より徒歩約2分
★車/名神「京都南」ICあるいは「京都東」ICから約20分
駐車場/約20台(200円/30分)
拝観料/無料  宝物館500円
拝観時間/6:00〜17:00(宝物館のみ 9:00〜17:00)

総門
総門

法華宗本門流大本山。日隆聖人開山。
本能寺は1415年〜1432年までは「本応寺」、1433年〜現在まで「本能寺」としている。その理由は、【本門八品相応能弘之寺】の〔(本)門八品相(応)(能)弘之寺〕の言葉より本応寺・本能寺という寺名にした。()

本堂
本堂
信長公廟
信長公廟

本能寺は6回焼失している。そのうちの1度は有名な「本能寺の変」。信長は秀吉に毛利攻めを命じ、本隊の信長も上洛し、わずかの手勢を従えて本能寺に止宿、長男信忠も妙覚寺で待機した。そして信長は毛利攻めにてこずる秀吉の援軍を明智光秀に命じたのであるが、その光秀は亀岡から老ノ坂で西に向かわず京都に向かい、本能寺に攻め入ったのであった。信長は多勢に無勢、防ぎようもなく自ら本堂に火をつけ自刃したのである。
このように6度も火災に遭遇しているので火(ヒ)を嫌い、1928年には『能』でなく(にくづき月にムヒヒ から ムと去)に替えて使っている。(写真を見てください)()

信長公廟
信長公廟
宗祖日蓮大菩薩・開山日隆大聖人御廟
宗祖日蓮大菩薩・開山日隆大聖人御廟

日承聖人御墓
日承聖人御墓
(下段)徳川家重夫人供養塔、(中段)菅中納言局庸子の石塔、(上段)島津義久夫人の石塔
(下段)徳川家重夫人供養塔
(中段)菅中納言局庸子の石塔
(上段)島津義久夫人の石塔

(左上)日承聖人 中興の祖。後伏見天皇六世の皇孫、伏見宮邦高親王の皇子で、幼少にして当寺に入り、1543年43歳のときに貫首になった。天文法難で焼亡した当寺を四条西洞院に再興した。()

塔頭源妙院
塔頭源妙院
境内図(パンフレットより)
境内図(パンフレットより)



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