勝龍寺のご朱印                             春日神社のご朱印
ぼけ封じ近畿十楽観音霊場 ご朱印

ぼけ封じ近畿十楽観音霊場
洛西観音霊場 ご朱印

洛西観音霊場
春日神社(乙訓鎮座神社巡り) ご朱印

春日神社
(乙訓鎮座神社巡り)

京都の神社・仏閣
勝龍寺(しょうりゅうじ)
【勝龍寺の紹介サイトへ】

住所/〒617-0836 京都府長岡京市勝龍寺19-25
TEL/075−951−6906
アクセス
★電車/阪急京都線「長岡天神」駅より徒歩約25分
     あるいはJR東海道線「長岡京」駅より徒歩約15分
★車/名神「大山崎」ICから約10分
    京都縦貫自動車道「長岡京」ICより約8分
駐車場/なし
入山料/無料  境内自由

本堂
本堂
本堂扁額
本堂扁額

真言宗。山号は恵解(えげ)山。ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第3番札所、京都洛西観音霊場第14番札所。
平安時代初期、弘法大師の開基、本尊は十一面観世音菩薩にして、毘須羯摩(びすかつま)の刻と伝えられる。
往時の寺号を恵解(えげ)山青龍寺と号す。青龍寺とは弘法大師が入唐した時、修業した寺の名である。大師帰国の後、在唐留学時代の恩師を偲ぶために一堂を建立され、更に嵯峨天皇の勅願により観音堂を始め、九十九坊を建て広く天下にその名をうたわれた名刹である。962年村上天皇の御代に近郷大干ばつ・大飢饉となり、天皇は青龍寺住職千観上人に七日間雨乞いの祈祷を命じた。結願の日、にわかに雨が降り出し万民は喜び、農作物はよみがえり、天皇は非常に喜び、「龍神を呼ぶ、即ち龍神に勝って雨を降らした事ゆえ以後勝龍寺と名乗れ」との勅命により現在の勝龍寺となる。()

鐘楼
鐘楼
ぼけ封じ観世音菩薩像、弘法大師像
ぼけ封じ観世音菩薩像、弘法大師像

しかし1336年足利尊氏の兵乱に合い全焼、翌年再建されたが、1582年羽柴秀吉、明智光秀との天王山、山崎の合戦に巻き込まれ灰燼に帰す。当時あった梵鐘は豊臣秀頼、徳川家康の大阪の陣の際に持ち去られ、現在は大阪府豊能郡能勢町の真如寺に現存する。
1766年鐘楼堂並びに梵鐘(二代目)が再建されたが、第二次大戦末期に至り供出する。また初代梵鐘が現存するのを聞き、返還を求めたが実現せず、1977年(昭和52年)は浄財で三代目の梵鐘が鋳造された。その後、諸堂の修復、境内の整備が行われたが、往古勅願寺として栄えた面影は少なく、僅かに本尊十一面観世音菩薩、不動明王、毘沙門天等が残る。本尊十一面観世音菩薩は1978年(昭和53年)に国の重要文化財に指定された。()

春日神社 拝殿
春日神社 拝殿
春日神社 本殿
春日神社 本殿

(上)春日神社 御祭神は天津児屋根尊(あまつこやねのみこと)姫大神(ひめおおかみ)武甕槌命(たけみかづちのみこと)斎主命(いわいぬしのみこと)
乙訓鎮座神社巡りのひとつ。
平安時代末の1174年に九条兼実(かねざね)による建立といわれ、1582年に焼失したが、1604年に再建、1845年に破損、再建されたと伝えられている。江戸時代には勝龍寺村の氏神で、現在は氏子の中から宮総代などが選ばれ、お千度や例祭が行われている。境内は玉垣で囲われ、門、拝殿、覆屋に入った一間社流造の本殿がある。()

寺号碑、社号碑、鳥居
寺号碑、社号碑、鳥居