乙訓坐火雷神は玉依姫の夫神で「山城風土記逸文」の賀茂伝説に丹塗矢の古事として見え、その御子別雷神を御祭神とする上賀茂神社、玉依姫と建角身命を御祭神とする下鴨神社とともに国の大弊を預かる名神大社として社格の高い社であった。 初見は続日本紀の大宝2年(702年)の条で、殊に祈雨神として平安中期までは国史に度々出ている。承久の変(1221年)にて宮司は朝廷側について敗れ、社殿は灰燼に帰し、安易に復興は許されなかった。 旧社地は井ノ内の西部(宮山)にあったが、応仁の乱で焼失後、1484年に今の地に再興され、井ノ内の産土神として祀られている。
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