廬山寺の御朱印
洛陽三十三所 御朱印

洛陽三十三所
京都七福神 御朱印

京都七福神
紫式部邸宅跡 御朱印

紫式部邸宅跡

京都の神社・仏閣
廬山寺(ろざんじ)
【廬山寺のサイトへ】

住所/〒602-0852 京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町397
TEL/075−231−0355
アクセス
★電車/京阪鴨東線「出町柳」駅から徒歩15分、「丸太町」駅から徒歩20分
     京都市バス「府立医大病院前」から徒歩3分
★車/名神「京都東」ICあるいは「京都南」ICより約20分
駐車場/約20台(無料)
拝観料/500円(本堂および庭園)
拝観時間/9:00〜16:00

山門
山門
薬医門
薬医門

天台宗系圓浄宗大本山。
洛陽三十三所観音霊場第32番札所。京都七福神3番(毘沙門天)。紫式部の邸宅跡。
比叡山天台18世座主元三大師良源により天慶年中(938年)に京都の北、船岡山南麓に創建され、與願金剛院と称した。1245年(寛元3年)に法然上人の弟子である住心房覚瑜上人が出雲路に廬山寺(ろざんじ)を開き、1304年に本光禅仙上人が両寺を再興する。廬山、與願両寺兼務の明導照源上人(1368年)によって廬山寺が與願金剛院に統合され、中国の廬山にならって廬山天台講寺と号した。()

元三大師堂
元三大師堂
鐘楼
鐘楼

豊臣秀吉の寺町建設によって天正年間(1573年〜1593年)に現在地・紫式部邸宅跡地に移る。
明治維新までは黒戸四箇院といい、宮中の仏事を司る寺院が四寺ありその中の一つであった。その後廃仏毀釈により、宮中より天台宗に預けになったが、明治天皇の勅命により廬山寺のみが復興された。()

本堂玄関
本堂玄関
紫式部・大弐三位歌碑
紫式部・大弐三位歌碑

紫式部の邸宅跡 四辻善成著、源氏物語注釈書である『河海抄』によると、紫式部邸宅の位置が「正親町以南、京極西頬、今東北院向也」とあること、また曽祖父の堤中納言こと藤原兼輔の屋敷があった地で式部の父の藤原為時に譲ったことから、ここを紫式部邸宅跡と推定されている。()

筆塚
筆塚
慶光天皇陵
慶光天皇陵

紫式部(973〜1031年) 越後守藤原為時の娘で、名は香子と言ったらしい。夫・藤原宣孝の卒後、中宮・藤原彰子に仕えた。中古三十六歌仙のひとりとされ、『源氏物語』のほか『紫式部日記』『紫式部集』といった作品がある。ユネスコによって「世界の偉人」の一人に選定されている。
歌碑「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな」
大弐三位(1000〜1081年) 名を賢子といい、父は藤原宣孝、母は紫式部。親仁親王(後の後冷泉天皇)の乳母となり、従三位典侍に昇進した。三位であるとともに太宰大弐・高階成章と結婚したため、宮廷では大弐三位と呼ばれた。歌人としては母親に匹敵するほどの才媛。
歌碑「有馬山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする」()

桔梗
桔梗
源氏庭
源氏庭

(上下)源氏庭 平安朝の庭園の「感」を表現した白砂と苔の庭で、紫の桔梗が6〜9月のあいだ咲いている。()

源氏庭(中央奥)紫式部顕彰碑
源氏庭(中央奥)紫式部顕彰碑
源氏庭
源氏庭



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