法華宗真門流総本山。正しくは慧光無量山本妙興隆寺と号し、略して慧光山本隆寺という。 開祖は常不軽院日真で、1488年京都四条大宮に堂宇を建立したが、1536年に起こった天文の法乱によって堂宇を失い、泉州堺に避難した。1542年の春、現在の地を得て再興されたが、1654年の大火により諸堂を焼失、第10世日遵によって1657年に再建された。 その後、1730年(享保15年)、1788年(天明8年)と二度にわたり洛中の大火に見舞われたが、当山に祀られている「火伏せの鬼子母神」の加護にて奇跡的に難を逃れ現在に至っている。これより「不焼寺」の異名がつくようになった。
|