大将軍八神社の御朱印
御朱印

京都の神社・仏閣
大将軍八(だいしょうぐんはち)神社
【大将軍八神社のサイトへ】

住所/〒602-8374 京都市上京区一条通御前通西入3丁目西町48
TEL/075−461−0694
アクセス
★電車/JR「京都」駅から市バスで
   「北野白梅町」または「北野天満宮前」バス停下車 徒歩約5分
★車/名神「京都南」ICあるいは「京都東」ICから約30分
駐車場/数台(無料)
拝観料/無料
   方徳殿の拝観は5月と11月1日〜5日で、その他は予約が必要

鳥居
鳥居
本殿扁額
本殿扁額

794年、桓武天皇の勅願により、方位守護の神として、内裏の北西角(陰陽道の天門)の地に勧請された。平安朝以来、王城鎮護の神として篤い崇敬を受け、建築・移動・転宅・婚姻・旅行・交通等あらゆる人間生活に於いて方位の厄災から守護する神として信仰された。
平安時代に流行した今様には、霊験あらたかな神として大将軍は、祇園、日吉、賀茂社と同列に歌われている。社号は初め大将軍堂と称され、鎌倉、室町と続き、応仁の乱後、神社として復興し、大将軍宮、大将軍社と改められ、江戸時代中期、素戔嗚尊(すさのおのみこと)及びその御子八神と暦神の八神が習合して、大将軍八神宮とされた。明治以後は大将軍八神社と称している。()

本殿
本殿
大杉大明神
大杉大明神

大将軍とは方位のことを司る星神(中国の古天文学では天大将軍)である。この神の方位を犯すときびしいとがめをうけるというので、古来非常におそれられてきた。もとは中国の風水思想から起こった陰陽道、道教の信仰で、朝鮮半島を経て日本に入ってきた。この信仰の起こりはすでに奈良朝にあるが、平安中期から鎌倉初期にかけては最も盛んに行われた。
方徳殿には八十体の大将軍神像群が立体星曼荼羅様に安置されている。その内訳は、武装像50体、束帯像29体、童子像1体で、多くは大将軍信仰の最高潮であった平安中期から鎌倉時代(10世紀末〜12世紀)のものが大部分である。この方徳殿は、神像が国の重要文化財に指定されたことを記念して、1975年(昭和50年)に造られた。殿内には大将軍神像の他に陰陽道安倍家に関わる古天文暦道関係資料も展示されている。()



HOME TOP BACK LINK