浦嶋伝承(浦嶋神社説明版より) 当地に伝わる浦嶋伝承は、我が国に伝わる最古の歴史書「日本書紀」(和銅2年、720)に記され、全国各地に伝わる浦嶋伝承よりも起源が最も古い。雄略天皇22年(478)秋7月の条に「丹波国余社郡の管川の人」として「端江の浦の嶋子」が常世の国へ行く物語が簡潔な文章で記されており、末尾に「詳細は別巻に在り」と書かれている。その書物が何であったかは現在では特定できていないが、同時期に編纂された「丹後国風土記」が有力である。また、他にも「万葉集」巻九にある高橋虫麻呂が詠んだ旋頭歌「詠水江浦嶋子一首」で浦嶋物語が歌われている。
これらの物語で登場する「浦嶋子」がいわゆる日本昔話でいう「浦島太郎」であるが、物語は中国道教の神仙思想の影響を受けている。古代には竜宮城へ行かず神女に誘われ蓬山(常世の国)へ至るという物語であった。浦嶋子は当地を治めた地方豪族の領主であったことから、民間伝承ではなく貴族、公卿などの支配層を中心に伝わっていった。室町期より江戸初期にかけて綴られた御伽草紙に初めて「乙姫」「竜宮城」「玉手箱」の名称とともに亀の恩返しの要素が加わり、また、領主であった嶋子が「両親を養う漁師の青年」という民衆の身近な存在として描かれたことにより、大衆に広く受け入れられ全国に伝わっていった。このことが、「浦島太郎」伝承が全国各地に数多く伝わる要因であると思われる。江戸中期の正徳2年(1712)に、大阪竹田からくり出し物で初めて亀に乗った浦嶋子が登場し、海中にある竜宮城へ行くようになる。
明治29年(1896)に巌谷小波が子ども向けに書いた日本昔話に、現在の浦島太郎のお話に書き替えられ、明治43年(1910)には尋常小学校2年国語教科書にその省略版が掲載、翌44年(1911)には唱歌「浦島太郎」が作られた。このことにより、当時の日本全国の子ども達が読み学び、また、唱歌は現在までも子ども達にお馴染みの歌として歌われ続け、日本人なら誰もが知っている代表的な昔話として大いに親しまれている。
|