京都の神社・仏閣
若宮八幡宮
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住所/〒605-0846 京都市東山区五条橋東五丁目480
TEL/075−561−1261
アクセス
★電車/JR京都線「京都」駅から市バス「五条坂」から徒歩約5分
    京阪「清水五条」駅より徒歩約10分
★車/名神「京都南」ICあるいは「京都東」ICより約20分
駐車場/なし
拝観料/無料  境内自由

清水焼発祥之地五條坂記念碑
清水焼発祥之地五條坂記念碑
一の鳥居
一の鳥居
二の鳥居
二の鳥居

応神(おうじん)天皇(八幡神の主神)とその父母・仲哀(ちゅうあい)天皇及び神功(じんぐう)皇后を主祭神とし、左の相殿に仲恭(ちゅうきょう)天皇を祀る。また1949年(昭和24年)に右の相殿に陶祖神の椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が合祀されたことから陶器神社としても知られている。()

蓬莱石
蓬莱石
拝殿
拝殿
「身も心も美しく」の鏡
「身も心も美しく」の鏡

平安時代1053年(天喜元年)に後冷泉(ごれいぜい)天皇の勅願により、源頼義(よりよし)が六条醒ヶ井(現在の西本願寺の北東辺り)に創建したのが始まりと伝えられ、当初は六條八幡、左女牛(さめがい)八幡とも呼ばれた。源氏一族や武士からの信仰が厚く、室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め、隆盛を極めた。その後、応仁の乱により荒廃し、社地を転々として1605年に五条坂のほぼ中央に当たる当地に移された。現在の社殿は1654年に再建されたものである。
毎年8月7日から10日までの4日間、若宮祭とともに陶器祭が行われ、五条坂一帯で盛大に開催される陶器市は多くの人でにぎわう。1985年(昭和60年)には若宮八幡宮前に、五条坂の先人及び陶器祭運営功労者への感謝の意を込めて「清水焼発祥之地五條坂」の記念碑が建立された。()

阿波天満宮
阿波天満宮
稲荷社
稲荷社

(左上下)阿波天満宮 洛陽天満宮二十五社のひとつ。
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(左)阿波天満宮・(右)鍾馗神社
(左)阿波天満宮・(右)鍾馗神社
鍾馗神社
鍾馗神社

(上)鍾馗(しょうき)神社 鍾馗(しょうき)は主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神である。唐の玄宗皇帝が病の床につき、夢の中で現れる鬼に悩まされていた。その夢の中で鍾馗(しょうき)が鬼を退治するのを見る。玄宗皇帝が正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗(しょうき)。官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて自殺した。だが高祖皇帝(唐の初代皇帝)が手厚く葬ってくれたので、恩に報いるためにやってきた。」と告げた。夢から覚めた玄宗皇帝は病が治っていることに気づき、夢で見た鍾馗(しょうき)の姿を絵師に描かせ、疫病除けや受験の神様として定めたという説話がある。
日本では小さな民間信仰のひとつとして主に京都や奈良の町屋、一階の上の中屋根に置かれているところが多くみられ、向かい合わせの鬼瓦や同じ鍾馗(しょうき)から弾かれた災いなどをはね返し、家を守っている。
鍾馗(しょうき)神社がここ若宮八幡宮に存在する理由として、陶祖人・椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が祀られている陶器神社があり、瓦からできている鍾馗(しょうき)も同じ焼き物であることから、京都市内唯一の場所として若宮八幡宮宮司の協力を得て建立された。御神体の鍾馗(しょうき)は災い除けとして鬼門の方向である北東に向けて安置されている。
京都市東山区ではたくさんの鍾馗(しょうき)を見かけることができ、家を守る以外にまちの生い立ちを伝えてくれる重要な存在でもある。そして同じまちを守る地蔵には地蔵盆があるのになぜ鍾馗(しょうき)にはそのような感謝する祭事がないのか、この素朴な疑問から始まり、鍾馗(しょうき)を正式に神格化して感謝する神社、そして鍾馗(しょうき)祭りが実施された。()



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