天台宗。山号は金玉山。正式名称は霊鷲山沙羅双樹林寺法華三昧無量壽院。京都十二薬師第7番札所。 延暦年間(782〜805年)桓武天皇の勅命で、左大史尾張定鑑が、伝教大師最澄を開基に招じて創建したのが始まり。その後、鳥羽天皇の皇女入寺などもあって栄え、広い境内と多くの塔頭子院を有したが、中世になって衰微するに至った。応永年間(1394〜1427年)に国阿上人が再興し、時宗一派の本山となり、東山道場と称したが、応仁の乱後再び衰え、明治維新のとき天台宗に改まった。更に明治の中頃、円山公園が設置された際に多くの寺地を失い、現在は本堂の一宇にその名残をとどめるのみである。この地には、かって、西行、平康頼、頓阿などが庵住したと伝えられ、本堂の南西飛地境内地には今も西行堂が建つ。
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