浄土宗鎮西派。山号は見性山。洛陽三十三所第九番札所。 延暦年間(782〜805年)に、桓武天皇の勅命によって小塩山(右京区)に建てられ、もと大宝寺と称したが、平安遷都とともにここに移ったといわれる。 その後荒廃していたが、1192年、法然の弟子・見仏が再建し、法然を招いて、念仏道場として引導寺と改めた。更に、寛永年間(1624〜1643年)、霊嚴によって青龍寺と改称された。
本堂に安置する本尊聖観音像は平安時代の作品で、伽羅観音ともいい、桓武天皇が伝教大師(最澄)に命じて、唐から渡来した伽羅の木で彫刻させたものと伝えられる。
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