京都の神社・仏閣
清閑寺(せいかんじ)
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住所/〒605-0922 京都市東山区清閑寺歌ノ中山町3
TEL/075−561−7292
アクセス
★電車/京阪電車「清水五条」駅から徒歩約30分
     あるいは京阪バスにて「清閑寺山ノ内町」下車 徒歩約5分
★車/名神「京都東」ICより約10分
駐車場/なし
拝観料/志納(100円以上と書かれている)
拝観時間/8:00〜16:00

山門
山門
本堂
本堂

歌乃中山(うたのなかやま)と号する真言宗智山派の寺。ここから清水寺までの山路は、かっては歌の中山と呼ばれる名所で、桜や紅葉の美しさから数多くの歌が詠まれた。
802年に天台宗の寺として比叡山の紹継(しょうけい)法師によって創建され、一条天皇の御代に至り、播磨守佐伯公行卿が鎮護国家の道場として法華三昧堂や宝塔、山神堂などを建立し清閑寺と号した。996年一条天皇は勅願寺に列せしめ、清閑寺法華堂の名の下に天台宗の寺として維持された。()

宝篋印塔
宝篋印塔
要石
要石

「平家物語」の悲恋で知られる高倉天皇と小督局(こごうのつぼね)ゆかりの寺で、平清盛の娘を中宮とする高倉天皇に寵愛されたために清盛の怒りに触れた小督局は、宮中を追われてこの寺で出家させられたと伝えられている。天皇は深く心を痛め、自分が死んだら局のいるこの寺に葬るよう遺言を残し、21歳の若さでこの世を去った。背後の山に、六條天皇と高倉天皇の御陵があり、高倉天皇陵の傍らには天皇の死後、生涯にわたって菩提を弔ったといわれる局の墓がある。
庭にある大きな石からは扇を広げたような形で市内が一望でき、その石がちょうど扇の要の位置に当たることから「要石(かなめいし)」と呼ばれ、願いをかけると叶うといわれている。()

鐘楼と大西郷月照王政復古謀議舊趾
鐘楼と大西郷月照王政復古謀議舊趾
六條天皇陵・高倉天皇陵
六條天皇陵・高倉天皇陵

鎌倉時代後期に道我僧正、南北朝時代に賢俊僧正が住山し、天台宗から真言宗に転じたのはこの頃とされる。賢俊僧正は足利尊氏のもとに参じて大功あり、室町幕府成立とともに崇信を得て寺運の興揚を見たが、応仁の乱にて戦火の巷となり荒廃した。
慶長年中(1596〜1615年)、根来山の性盛法師が復興に努めたが、往昔の盛観を復することはできず、この当時建てられた本堂と菅原道真が梅樹から彫ったという本尊・十一面観音像を現在は残すのみとなった。()



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