京都霊山護国神社のご朱印
ご朱印

京都の神社・仏閣
京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)
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住所/〒605-0861 京都市東山区清閑寺霊山町1
TEL/075−561−7124
アクセス
★電車/JR「京都」駅、京阪「祇園四条」駅、阪急「河原町」駅より
         市バス「東山安井」下車徒歩10分
★車/名神「京都東」IC、「京都南」ICより約15分
駐車場/なし
参拝料/無料  霊山墳墓拝観料/300円
参拝時間/8:00〜17:00
入山時間/9:00〜17:00

二の鳥居
二の鳥居
拝殿・本殿
拝殿・本殿

幕末維新に殉じた志士と大東亜戦争にいたる京都府出身の英霊73,011柱を奉祀する。幕末、各藩が此処に、それぞれの殉難者を祀ったのが始まりで、1868年(明治元年)5月に太政官布告をもって日本初の官祭招魂社となった。1877年(明治10年)には皇室より巨費が下賜され神域が整備され、さらに1929年(昭和4年)6月には昭和天皇御即位大礼の建物が下賜され、1939年(昭和14年)に護国神社と改称し、現在に至る。霊山神域内には坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允をはじめ蛤御門の変、天誅組の義挙等に加わった志士達の墓三百余があり、1356柱が合祀されており、明治維新を偲ぶ史跡である。

昭和の杜碑
昭和の杜碑
墓所案内図
墓所案内図

(左下)坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像 坂本龍馬は勤皇・佐幕を繰り返した幕末時代に、「日本は一つにまとまなければならない。」という大きな視野から新しい時代を構想していた。1866年には薩長連合を成立させ、海援隊を組織し、世界情勢や貿易の必要性を唱えたが、同志中岡慎太郎とともに、1867年京都近江屋で暗殺された。二人の功績を称えて銅像が立っている。
最期の状況が神社駒札に記されている。『慶応3年(1867年)11月15日、午後6時頃中岡慎太郎が訪問。この2、3時間後、会談中の彼らは刺客の襲撃に遭い、坂本龍馬は額を横に斬られ、二の太刀は右の肩から左背骨にかけ、三の太刀で更に前額部を裂かれて悲痛なる一言を残して倒れた。盟友・中岡慎太郎も全身に刀傷を負い、二日後の17日の夕方に息を引き取った。18日、近江屋において葬儀が行われ、ここ霊山に埋葬された。』と。

坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像
坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓所
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓所

円山公園のしだれ桜 円山公園のしだれ桜