乃木神社のご朱印
ご朱印 山城ゑびす神社 ご朱印

山城ゑびす神社

京都の神社・仏閣
乃木(のぎ)神社
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住所/〒612-8028 京都市伏見区桃山町板倉周防32
TEL/075−601−5472
アクセス
★電車/JR奈良線「桃山」駅下車 徒歩約10分
     近鉄京都線「桃山御陵前」駅下車 徒歩約15分
     京阪本線「伏見桃山」駅下車 徒歩約20分
★車/名神「京都南」ICより約10分
    京滋バイパス「宇治西」ICより約10分
    阪神高速京都線「巨椋池」ICより約10分
駐車場/5台(20分無料)
拝観料/無料

大鳥居
大鳥居
神門
神門

御祭神は、乃木希典命(のぎまれすけのみこと)乃木靜子命(のぎしずこのみこと)
1912年(明治45年)7月30日に明治天皇が崩御、御陵は「朕が百年の後は必ず陵を伏見に営むべし」との遺志で伏見桃山の地と定められた。そして大喪の日と決まった1912年(大正元年)9月13日、棺を乗せた車が出発する際の号砲が打たれた午後8時過ぎに、軍事参議官兼学習院長陸軍大将従二位勲一等伯爵乃木希典(のぎまれすけ)は、妻靜子(しずこ)とともに、先帝に殉じて、赤坂の屋敷にて皇居に正対端座し自刃を遂げた。()

神門
神門
拝殿
拝殿

村野山人(さんじん)翁は、乃木夫妻の忠義に強い衝撃と感銘を受け、天皇の霊柩を載せた霊輦を拝送しながら、「乃木夫妻の殉死1年後には会社を辞め、全財産を投じて明治天皇の墓所である伏見桃山陵の傍らに乃木希典(のぎまれすけ)大将と靜子(しずこ)夫人を祀り、御遺徳を仰ぎ尊び、その赤心を永く後の世に伝えん」と決意した。
村野山人(さんじん)翁は、鹿児島出身で九州や関西の各電鉄経営に参画した人で、衆議院議員も二期務めるなど、関西の政財界を代表する人物であった。
こうして当神社は、村野山人(さんじん)翁とその志に応え賛同する人々の熱意と尽力によって1916年(大正5年)9月に創建された。
境内地はもと皇室の御料地であったが、当神社を創建した村野山人(さんじん)翁をはじめ、建立を熱願した政財界人、軍人などの尽力と、時の政府の理解によって特別に建設が許された。
ここは全国に建設された乃木神社中最も早く建立が計画されたものの、用地確保と建設に4年の歳月が費やされ、那須の乃木神社に次いで2番目に創建された。()

拝殿
拝殿
拝殿絵馬額
拝殿絵馬額

本殿
本殿
山城ゑびす神社
山城ゑびす神社

山人(さんじん)翁は、当神社創建にあたり乃木夫妻と勝典・保典両子息の四柱を本殿に祀ることを、時の内務省に願い出たが、当時は乃木大将一柱の奉祀しか許可されなかった。そこで山人(さんじん)翁は、1918年(大正7年)に本殿西隣に靜子夫人の御霊を祀る社殿を建てることを願い出、靜魂神社が1919年(大正8年)に建てられた。その後、恵比須神を首座とする七福神が合祀され、靜魂七福社と称された。
2006年(平成18年)の乃木神社創建90周年を機に、山人(さんじん)翁の創建当初の望み通り、靜子夫人の御霊を乃木神社本殿へ遷し、靜魂七福社は山城ゑびす神社に改称した。
その後、2015年(平成27年)山城ゑびす神社本殿の修復工事のため遷座祭を行った際、七福神の奉祀をあらため、主祭神である恵比寿神のみ奉祀することとなった。()

さざれ石
さざれ石
戦艦吾妻の主錨
戦艦吾妻の主錨

学習院長時代の乃木大将胸像
学習院長時代の乃木大将胸像
大鳥居神額
大鳥居神額
乃木将軍景仰の碑
乃木将軍景仰の碑

乃木大将は、1908年(明治41年)皇孫迪宮裕仁親王が学習院に入学するに先立ち、明治天皇より「華族の教育の事、総て卿に一任す」との勅命を賜り学習院長に親任された。明治天皇は、乃木大将が武人としてもさることながら、文人としても比類なき教育者であり、何よりも人格者であることを知っており、大将の「尊皇愛国、尽忠無私、至誠一貫」の精神を華族の子弟教育に取り入れたいとの思いであった。学習院長に就任した乃木大将は、子供たちと同じ学寮で寝食を共にして、教練、水泳などで共に汗をかき、訓示も与えた。この訓示は「學習院初等科 乃木院長訓示要領」として今に遺っている。その頃の姿写真を現代彫刻の先駆者の一人である小倉右一郎が胸像にしたものである。()



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