金刀比羅宮のご朱印
ご朱印

香川の神社・仏閣
金刀比羅宮(ことひらぐう)
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住所/〒766-8501 香川県仲多度郡琴平町892-1
TEL/0877−75−2121
アクセス
★電車/JR土讃線「琴平」駅より徒歩約20分
     高松琴平電鉄「琴電琴平」駅より徒歩約15分
★車/瀬戸中央自動車道「坂出」ICより約30分
    高松自動車道「善通寺」ICより約15分
駐車場/なし(町営駐車場など利用)
拝観料/無料
拝観時間/参拝自由

御本宮
御本宮
御本宮
御本宮

讃岐のこんぴらさんの名で親しまれる。全国にある「こんぴらさん」の総本宮。
往古は大物主神(おおものぬしのかみ)を祀り、琴平神社と称したが、中古に本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)(日本の神々は仏様の仮の姿とする思想)の影響を受け、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と改称し、1165年に相殿に崇徳(すとく)天皇を合祀する。その後1868年(明治元年)に神仏混淆(しんぶつこんこう)が廃止されて元の神社にかえり、同年7月に宮号を仰せられ、金刀比羅宮と改称し現在に至る。

火雷社
火雷社
祓戸社
祓戸社

大物主神(おおものぬしのかみ)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟である素戔嗚尊(すさのをのみこと)の子、大国主神(おおくにぬしのかみ)和魂神(にぎみたまのかみ)で農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神様として、全国の人々の厚い信仰を集めている。古伝によれば、大物主神(おおものぬしのかみ)は、瀬戸内海の海水が深く湾入し、潮が常に山麓を洗う、湾奥に横たわる良き碇泊所であったこの琴平山に行宮を営み、表日本経営の本拠地と定めて、中国、四国、九州の統治を行ったといわれてある。その行宮跡に大神を奉斎したと伝えられている。
第75代崇徳(すとく)天皇は1141年譲位後、保元の乱で讃岐国松山に還る。その後は当宮を深く崇敬した。1164年に崩御されるや、翌年に相殿に合祀された。

表参道
表参道
表参道
表参道

1段
表参道ははじめは平坦だが、すぐに石段になる。御本宮まで785段がここから始まる。大門までは多数の土産物屋が並ぶ。

備前焼狛犬
備前焼狛犬
一之坂鳥居
一之坂鳥居
備前焼狛犬
備前焼狛犬

113段
(上)一之坂鳥居の傍らに重要有形民俗文化財「備前焼狛犬」がある。またここから先の大門までは特に急な石段となり、一ノ坂と呼ばれる。

灯明堂
灯明堂
琴陵宥常銅像
琴陵宥常銅像

168段
(左上)灯明堂 一ノ坂の途中、左側に重要有形民俗文化財「灯明堂」がある。1853年、備後国因之島浦々講中の寄進により、船の下梁を利用して建てられた。灯明堂の中には多数の釣燈籠が吊り下げられ、夜の参道を照らす。
288段
(右上)琴陵宥常(ことおかひろつね)銅像 明治維新後の近代日本の黎明(れいめい)期に、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)を金刀比羅宮と改め、御本宮再営や琴平山博覧会を開催し、晩年には海の信仰を掌る金刀比羅宮宮司として日本水難救済会を創設するなど、強固な信念で今日の金刀比羅宮の礎を築いた宮司である。

大門
大門
大門と五人百姓
大門と五人百姓

365段
(上と左下)大門 総門。水戸光國の兄である松平頼重の寄進。二層入母屋造瓦葺。楼上に掲げられた「琴平山」の額は、有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)の御筆。大門を入るとすぐに大きな傘をさして飴を売る五軒の店がある。この五軒は五人百姓といって特別に宮域での商いが許されている。

大門扁額
大門扁額
桜馬場
桜馬場

365〜431段
(右上)桜馬場 大門から150m程続く石畳の道。両側に続く玉垣の内には、数十株の桜が植えられ、その間に無数の石燈籠が建てられている。春は素晴らしい桜の道となる。

神馬
神馬
桜馬場西詰銅鳥居
桜馬場西詰銅鳥居
こんぴら狗の銅像
こんぴら狗の銅像

431段
(中央上)桜馬場西詰銅鳥居 元は高燈籠の東側にあったものを、1912年(大正元年)に力士の12代目朝日山四郎右衛門が現在の場所に移設し修復した。
(右上)こんぴら狗の銅像 江戸時代、庶民は旅行を禁止されていたが、神仏への参拝はその限りでなく、「お伊勢参り」や、それに並ぶ「丸金か京六か」(金刀比羅宮と京都六条の東西本願寺)といわれた参拝があった。しかしこの旅も大変で、慣れた人が代理で参拝に行く「代参」というものがあった。しかし代参をしたのは「人」だけではなかった。犬に初穂料と道中の食費を入れた「こんぴら参り」の袋を首に巻いて飼い主が旅の人に託した。無事代参を済ませると再び旅をして家族のもとへ帰ってくる。この犬を「こんぴら狗」と呼んだ。

社務所門
社務所門
書院
書院

477段
(上)社務所門と書院 書院の勝手口だが、社務所が書院に付属していた頃の名残で社務所門と呼ばれる。
書院では円山応挙の襖絵などが公開されている。

旭社
旭社
マルキン醤油奉納品
マルキン醤油奉納品

628段
(上)旭社 御祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)高皇産霊神(たかみむすびのかみ)神皇産霊神(かみむすびのかみ)。1837年に竣工した社殿は、高さ約18m、銅板葺の総齣「二重入母屋造で、全て槻材が用いられている。上層の屋根裏には巻雲が、そして柱間・扉には人物・鳥獣・草花が彫刻されている。「旭社」の扁額は正二位綾小路有長の筆。

賢木門扁額
賢木門扁額
賢木門
賢木門
賢木門提灯
賢木門提灯

642段
(上)賢木門(さかきもん) 唐破風と千鳥破風の棟が交錯する檜皮葺の屋根をもつ。昔は「逆木門」と書いた。天正年間(1573〜1592年)、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)は諸州を侵略して多くの神社仏閣を焼き払っていた。ある夜、元親が琴平山の隣の大麻山に陣取った時、琴平山の草木が全て敵兵に見え狂乱してしまった。老臣らはこれを霊境付近を犯したための神罰と考えた。そこで元親は罪を謹み、門を献納した。しかし建築を急ぐあまり一本の柱を逆さまにつけてしまい、「逆木門」と呼ばれるようになった。1879年(明治12年)の改築の際に、「逆」の字を嫌い「賢木門」とした。逆さまにつけられた柱は今も宝物館に保存されている。「賢木門」の扁額は、有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)の御筆。

遙拝所
遙拝所
高台(展望台)より讃岐平野彼方の讃岐富士を望む
高台(展望台)より讃岐平野彼方の讃岐富士を望む

653段
(左上)遙拝所 賢木門の先の右手にあり、皇廟(伊勢神宮)や皇稜を遙拝するところ。流造・銅板葺の神籬殿と、切妻造・銅板葺の拜殿からなる。ともに1880年(明治13年)の建築。拜殿の左右には石造麗狗がある。

御本宮
御本宮
御本宮
御本宮

785段
(上)御本宮 海抜251m。主祭神に大物主神(おおものぬしのかみ)、相殿に崇徳(すとく)天皇を祀る。1878年(明治11年)の改築。全檜造り。

三穂津姫社
三穂津姫社
南渡殿
南渡殿

(左上)三穂津姫社(みほつひめのやしろ) 本宮から南北に渡る長い廊下(南渡殿)があり、その南端にある。本宮の御祭神である大物主神の后にあたる、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御女、三穂津姫神(みほつひめのかみ)が祭られている。本殿は檜皮葺・王子造、中殿は檜皮葺、拝殿は檜皮葺・大社関棟造である。

絵馬殿
絵馬殿
神札授与所
神札授与所

(左上)絵馬殿 三穂津姫社の南側にある。もともとは生きた駿馬を神に奉納したのが始まり。後に、絵に描いた馬、つまり「絵馬」を奉げるようになった。武者絵や美人画の絵馬も現れるようになり、金刀比羅宮は航海安全祈願より船の絵馬が多く見られる。