寺社巡り覚書
(左下)原爆ドーム
旧広島県産業奨励館。チェコの建築家ヤン・レツルの設計監督により1915年(大正4年)4月に完成し、特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていた。原子爆弾はこの建物の南東約160mの上空600mで炸裂、建物は大破、全焼して館内にいた全員が即死した。その後、原爆の惨禍を全世界に伝えるとともに、世界平和のシンボルとして1996年(平成8年)12月にユネスコの世界遺産に登録された。()

原爆ドーム
原爆ドーム
広島城
広島城

(右上)広島城
太田川河口の三角州に毛利輝元が築いた典型的な平城。関ケ原の合戦後に福島正則が完成させた。その後は1869年(明治2年)版籍奉還まで浅野氏が12代250年間城主を勤めた。廃藩置県後は陸軍の施設が設けられ建造物は次第になくなってきた。そして1945年(昭和20年)原子爆弾により天守閣をはじめ城内の建造物は全て壊滅した。現在の天守閣は1958年(昭和33年)に復元されたもの。()