華厳寺の御朱印
西国三十三所[現在・本堂(観音堂)] 御朱印

西国三十三所
[現在・本堂(観音堂)]
西国三十三所[過去・満願堂] 御朱印

西国三十三所
[過去・満願堂]
西国三十三所[未来・笈摺堂] 御朱印

西国三十三所
[未来・笈摺堂]

岐阜の神社・仏閣
華厳寺
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住所/〒501-1311 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
TEL/0585−55−2020
アクセス
★電車/JR東海道本線「大垣」駅から
 ・樽見鉄道(約40分)「谷汲口」駅下車、
 揖斐川町コミュニティバス(谷汲山行き・約10分)「谷汲山」下車
 ・養老鉄道(約25分)「揖斐」駅下車、
 揖斐川町コミュニティバス(谷汲山行き、または横蔵行き・約25分)「谷汲山」下車
★車/名神高速「関ヶ原」IC、「大垣」IC、
    または「岐阜羽島」ICから共に約60分(約35km)
   東海北陸自動車道「各務原」ICから約60分(約35km)
駐車場/700台(日・祝日など有料)
入山料/無料(御随意)
拝観時間/8:00〜17:00  納経時間/8:00〜16:30

山門
山門
参道
参道

山号は谷汲山(たにぐみさん)。天台宗。
西国三十三所観音霊場第33番札所、東海白寿三十三観音霊場33番札所、東海三十六不動尊霊場33番札所。
798年豊然上人開祖、大口大領が本願。()

仁王門
仁王門
案内図
案内図

縁起(谷汲観光協会より)
 奥州会津黒河郷に大口大領という人がいました。十一面観音を建立したいと強く願い、京の有名な仏師に彫り上げてもらったところ、観音像は、仏師が差し出した笠や履き物、杖を自分でつけて先に立って歩き始めました。
 途中、美濃国赤坂を過ぎると、「遠い奥州へは行かない。この先の山中に有縁の地があるのでそこで衆生を済度する。」と語られ、奥州とは違う北に向かって歩き出しました。華厳寺の南にある丸山に来たときです。観音像は歩みを止められ、一歩も動かなくなりました。大領は観音像の言葉を思い出し、丸山に堂を建て観音像を安置しました。すると、堂近くの岩穴から油が沸きだし、燈明に困ることがなかったといいます。
 この話を聞かれた醍醐天皇は、谷汲山の山号と華厳寺の扁額を賜ったといいます。山号は湧き出した油を汲んだことに、寺名は観音像に華厳経が写経されていたことにちなむとされています。()

「西国第三十三番満願霊場」石碑
「西国第三十三番満願霊場」石碑
仁王門提灯
仁王門提灯
巨大草鞋
巨大草鞋
一乗院
一乗院
法輪院
法輪院

明王院
明王院
水琴窟
水琴窟
英霊堂
英霊堂
三十三所堂
三十三所堂
経堂
経堂
勢至・観音大菩薩
勢至・観音大菩薩

本堂 度重なる兵戦で荒廃をたどる中、1479年道破拾穀(どうはじっこく)上人が本堂及び諸堂を再興、その後また大破したため、1879年豪泰法印によって再興され現在に至る。()

本堂への石段
本堂への石段
本堂前の石碑と石灯籠
本堂前の石碑と石灯籠
本堂大提灯
本堂大提灯
笈摺堂と子安堂
笈摺堂と子安堂

(右上)笈摺堂(おいずるどう) 満願打ち止めとして、巡礼者は笈摺や杖、納経帳をここに納めていく。花山法皇が「今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎて納むる 美濃の谷汲」という詠歌を衣に添えたことから、「笈摺堂(おいずるどう)」という名がついたと言われている。()

鐘楼
鐘楼
精進落としの鯉(本堂向かって左)
精進落としの鯉(本堂向かって左)
精進落としの鯉(本堂向かって右)
精進落としの鯉(本堂向かって右)

(中右上)精進落としの鯉 本堂左右の向拝柱に青銅の鯉が打ちつけてある。満願結願の記念にこの鯉を撫でることで精進落としになると言われている。
精進落としとは、巡礼で結願後に非日常の世界から普段の生活に戻るときに行う儀式で、無事に巡礼ができたことに感謝し、お酒を飲んだり魚や肉を食べたりして祝うことである。()

満願堂への石段
満願堂への石段
満願堂
満願堂

阿弥陀堂
阿弥陀堂
不動堂
不動堂
門前町の土産物屋
門前町の土産物屋
門前町の土産物屋
門前町の土産物屋

寺社巡り覚書
山門から仁王門までの参道沿いには旅館や食事処、お土産物屋が立ち並んでいる。さすがに満願結願のお寺の門前町なのか、巡拝用品や表装の専門店が目立った。()




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