本覚寺の御朱印
御朱印

岐阜の神社・仏閣
本覚寺
【本覚寺のサイトへ】

住所/〒501-6241 岐阜県羽島市竹鼻町2434-1
TEL/058−391−5453
アクセス
★電車/名鉄竹鼻線「竹鼻」駅より徒歩約5分
★車/名神高速「岐阜羽島」ICより約10分
駐車場/約20台(無料)
拝観料/無料

山門
山門
鐘楼
鐘楼

曹洞宗。本尊は宝冠釈迦牟尼仏(毘盧遮那仏)。
草創は、北条氏の外護を受ける天台宗の寺院であったが、幾度かの盛衰を経て、1558年に曹洞宗に改宗したという。()

本堂
本堂
本堂扁額
本堂扁額

1558年、正眼寺より玄沢祖栄を創建開山として招請、天台宗を曹洞宗に改宗。その後、戦乱が続き、寺はしばらく衰微した。
そして1580年、竹鼻城に不破源六広綱が入城。城の改築と共に父・綱村(本覚寺殿大雲義沢大居士)のために、正眼寺より源経祖玄を招請し、本覚寺を竹鼻城主の菩提寺として復興した。
その後1584年、小牧長久手の戦いにおいて、広綱は織田方(織田信雄・徳川家康)に味方し竹鼻城に籠る。豊臣(羽柴)秀吉は長久手での敗退の後、織田方を小牧山城より引き寄せる為、竹鼻城を水攻めにし、城は落城。代わって岐阜城主織田秀信の家老杉浦五左衛門が竹鼻城の入城するも、竹鼻城主の菩提寺として本覚寺を残し堂宇の整備に尽力したのであった。()

稲荷社
稲荷社
稲荷社
稲荷社

しかし1600年、関ヶ原の戦いにおいて杉浦氏は西軍に味方し竹鼻城は落城、本覚寺も焼失した。
その後1690年、正眼寺より乙先秀存を勧請開山とし本覚寺が復興される。
1891年(明治24年)濃尾大震災により、建物は山門を除き倒壊したが、1915年(大正4年)に伽藍が完成し今日に至る。()

雲龍の絵天井
雲龍の絵天井
境内横に名鉄
境内横に名鉄

(左上)雲龍の絵天井 岐阜県重要文化財。本堂の天井絵。
幕末の勤王家で京都の大和絵師・宇喜多一宸フ筆による雲龍であるが、1891年(明治24年)濃尾大震災で本堂が倒壊、1914年(大正3年)宇喜多一宸フ原画を、画系の後嗣・森村宜稲が修補した。()

牡丹と本堂
牡丹と本堂
藤と本堂
藤と本堂

(上下)ぼたんまつり
4月中旬から下旬に開催され、境内の200株ほどの牡丹が花を咲かせる。()

案内板
案内板
ぼたん
ぼたん
ぼたん
ぼたん



HOME TOP BACK LINK