安積国造神社の御朱印
御朱印

福島の神社・仏閣
安積国造(あさかくにつこ)神社
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住所/〒963-8005 郡山市清水台1-6-23
TEL/024−932−1145
アクセス
★電車/JR東北本線「郡山」駅から徒歩約10分
★車/東北自動車道「郡山」ICより約15分
駐車場/約20台(境内 無料)
拝観料/無料  境内自由

拝殿神額
拝殿神額
拝殿
拝殿

ご祭神は和久産巣日神(わくむすびのかみ)天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)比止禰命(ひとねのみこと)誉田別命(ほむだわけのみこと)倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
和久産巣日神(わくむすびのかみ)伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)の神生みにおいて、尿(ゆまり)より生成した神。『日本書記』に、頭の上に蚕と桑が生り、臍の中に五穀が生ったとある。伊勢神宮外宮のご祭神豊受大神(とようけのおおかみ)は御子神。
天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)邇芸速日命(にぎはやひのみこと)天磐船(あめのいわふね)に乗られて河内国河上の哮峰(いかるがみね)に天降りされた時、従われて降臨された神様。比止禰命(ひとねのみこと)の御祖神。()

三の鳥居
三の鳥居
北参道鳥居と社号標
北参道鳥居と社号標

天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)の十世孫である比止禰命(ひとねのみこと)は、第13代成務天皇5年、勅命により阿尺(あさか)国造に任ぜられ、安芸国からこの未開の地に赴いた。そして国郡の範囲を定め、赤木山(現在の赤木町)に安積国の神として和久産巣日神(わくむすびのかみ)(穀神)、天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)(祖神)を祀ったのが当社の始まり。比止禰命(ひとねのみこと)は、未開の荒野を開き、田園を拓き農桑牧畜の業を奨励し、善政を敷いた。第20代安康天皇2年、比止禰命(ひとねのみこと)は赤木山に合祀され国造神社と号した。()

御神楽殿
御神楽殿
安積発祥碑
安積発祥碑

延暦年中、坂上田村麻呂は、東征の(さい)、国造神社に宇佐八幡大神(誉田別命(ほむだわけのみこと)、第15代応神天皇)を合祀し、軍旗と弓矢を奉納した。
1683年八幡大神が国造神社から、稲荷大神(倉稲魂命(うかのみたまのみこと))が中世安積領主伊藤摂津守城内(稲荷舘)から現在の清水台の鎮座地に奉遷され、八幡宮、稲荷大明神として崇敬された。1872年(明治5年)赤木山に鎮座されていた国造神社は清水台の鎮座地へ奉遷され、三社を総称して安積国造神社と号した。古来郡山の総鎮守として尊崇され、旧社格は県社に列せられた。当神社の宮司家は比止禰命(ひとねのみこと)の子孫であり現在64代を数える。()

安積艮斎先生銅像と誕生地の碑
安積艮斎先生銅像と誕生地の碑
摂社:皇大神宮
摂社:皇大神宮

安積艮斎(あさかごんさい)先生 幕末の朱子学者。
1791年安積国造神社第55代宮司安藤親重の三男として生まれた。17歳で学問の道を志し江戸へ出奔し、24歳で江戸神田駿河台に私塾を開いた。門人は2282名に上り、小栗上野介(こうづけのすけ)栗本鋤雲(くりもとじょうん)、岩崎弥太郎、吉田松陰、高杉晋作をはじめ、近代日本を開いた人々を多数輩出している。()

安積天満宮
安積天満宮
白王稲荷神社
白王稲荷神社

寺社巡り覚書
(左下)二の鳥居跡 国道4号線に面する二の鳥居は震災でひびが入り、再建のため取り外されていた。()

二の鳥居跡と社号碑
二の鳥居跡と社号碑
やまびこ・つばさ併結(郡山駅)
やまびこ・つばさ併結(郡山駅)



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