田ノ浦薬師堂の御朱印
篠栗四国八十八ヶ所霊場 御朱印

篠栗四国八十八ヶ所
篠栗四国八十八ヶ所霊場 御朱印

篠栗四国八十八ヶ所

福岡の神社・仏閣
田ノ浦薬師堂(だのうらやくしどう)

住所/〒811-2405 福岡県糟屋郡篠栗町篠栗1610-3
TEL/092−947−6495
アクセス
★電車/JR篠栗線「筑前山手」駅、または「城戸南蔵院前」駅から徒歩約20分
★車/九州自動車道「福岡」ICから約12分
駐車場/なし
拝観料/無料
勧請元/四国八十八ヶ所第59番札所国分寺(こくぶんじ)
●第80番札所 田ノ浦観音堂(だのうらかんのんどう)から徒歩で約50m
●第53番札所 桐ノ木谷阿弥陀堂(きりのきだにあみだどう)まで徒歩で約1800m

御堂
御堂
堂内
堂内

本尊は薬師如来。篠栗四国八十八ヶ所霊場第59番札所。()

御本尊
御本尊
十三仏堂
十三仏堂

堂内には本尊の金箔塗の薬師如来と大日如来の石像が安置される。堂入口の右脇に小さなお堂があり、篠栗霊場開創当初からある旧本尊の薬師如来の石像がある。
もともとこの札所は田ノ浦庵という寺で、現守堂者の先祖が住職であった。()

藤木藤助翁之像
藤木藤助翁之像

(上)藤木藤助翁之像 59番札所と80番札所の間の岩の上に、高さ3mほどの石像がある。篠栗霊場創設者である藤木藤助翁の像である。四国霊場を巡った時の翁の姿と伝えられる。
59番札所の土地は、翁が霊場開創当時の苦難を偲ぶ草庵の跡地といわれる。
この像は三代目で2006年(平成18年)の建立である。初代の像は青銅製で1893年(明治26年)の建立。太平洋戦争中に軍の金属類の供出命令の際は、密かに翁の頭だけを切り取って保存、胴体と足だけを供出したという。戦後になり、石で胴体と足を造り、保存していた頭をのせたという。ところが2005年(平成17年)3月の福岡西方沖地震で頭と胴の継ぎ目が外れたので、霊場会と関係者の手で新しく石像に作り直して再々建立した。旧頭部は篠栗町歴史民俗資料室に保存されている。
藤助翁は篠栗村中ノ河内の金澤家に生まれ、田ノ浦の藤木家の養子となる。信仰に篤く、若杉石井坊の住職賢貞師に師事して、真言密教の大意を悟り、単身四国遍路の旅に出て大師の遺跡を巡拝した。当時の篠栗に慈忍尼が中断させたままの四国霊場を遷した八十八ヶ所霊場創設の引き継ぎを決意、同志を募り、四国の各札所の聖砂を持ち帰り、八十八体の本尊石仏を刻み、村の人々に頼み込んでお堂を建て、篠栗新四国霊場の基礎を創った。()



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