坂本八幡宮の御朱印
御朱印

福岡の神社・仏閣
坂本八幡宮
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住所/〒818-0133 福岡県太宰府市坂本3-14-23
アクセス
★電車/西鉄天神大牟田線「都府楼前」駅下車 徒歩約20分
★車/福岡都市高速2号線「水城」ICから約10分
    九州自動車道「太宰府」ICから約10分
駐車場/周辺の駐車場利用
拝観料/無料

表門注連縄
表門注連縄
拝殿
拝殿

御祭神は応神天皇。
「圓満山四王寺縁起」によれば「嵯峨天皇弘仁2年(811年)辛卯2月勅宣にて四王院に釈迦仁の像を造立し有智山寺の沙門鳳詮法師及行願具足の僧十一輩を移し開眼供養を遂げられ水田五十町を寄附し給ふ。鳳詮法師は坂本に住して善正寺と号す。又坂本坊と呼り。」とされ,平安時代にはこの坂本の地に四王寺の座主坊としての善正寺が成立していたとされる。
坂本にあったこの寺は中世は天台宗の寺院で、本山の比叡山に習い九州の天台系寺院には境内に八幡宮を祭る形が多く見られる。
当社の勧請時期は「福岡県神社誌」(1944年刊)の記述によれば「天文〜弘治の頃」(1532〜1557)の戦国時代とされるが、おそらくこの頃に寺院が廃れ土地を経営する現在の坂本区の原型となる村落ができ、その村の鎮守として寺の境内にあった社が再興されたものと考えられる。
境内入口南側にある「がらんさま」と呼ばれる立石は天台寺院の故地によく見られ、寺の中心地や結界となる境に置かれる。
古代には大宰府や九州を守護する寺であった四王寺が形を変え、現在は坂本区の鎮守となっている。〈境内掲示版より〉()

境内
境内
大伴旅人歌碑
大伴旅人歌碑

木標
木標
額入り令和
額入り令和

元号「令和」のゆかりの地とされる。
「令和」の典拠は、1200年余り前に編纂された日本最古の歌集『万葉集』に収められた「梅花の歌三十二首序文」にある、
 初春の月にして(しょしゅんのれいげつにして)、
  気淑く風ぎ(きよくかぜやわらぎ)、
   梅は鏡前の粉を披き(うめはきょうぜんのこをひらき)、
    蘭は珮後の香を薫ず(らんははいごのこうをくんず)。
の文言を引用したもので、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められた元号である。
730年(天平2年)正月13日、大伴旅人は自身の邸宅に大宰府や九州諸国の役人らを招いて宴を開催した。当時、中国から渡来した高貴な花であった梅をテーマに歌を詠んだことから「梅花の宴」と呼ばれている。この「梅花の宴」で読まれた32首の歌の序文になる。
大伴旅人の邸宅は、大宰府政庁跡の西北に鎮座する坂本八幡神社一帯、大宰府展示館東側の月山東地区官衙、大宰府条坊の中など、いくつかの説があるが、はっきりとしていない。()

「梅花の宴」再現展示物
「梅花の宴」再現展示物



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